茨城県による「校長公募」を経て、古河中等教育学校(公立中高一貫校)の副校長に着任した久米麻子さん(2025年度に校長着任予定/4年間の任期付き)。もともとNHKのチーフ・プロデューサーとして働いていた 久米さんは、なぜ「放送」から「教育」の世界へと足を踏み入れたのか。そこには「子どもたちに社会は自分たちで変えられることを知ってほしい」という思いがあった――。
茨城県 公立7校による校長公募|教員免許不問
■日立第一高等学校・附属中学校
■太田第一高等学校・附属中学校
■鹿島高等学校・附属中学校
■下館第一高等学校・附属中学校
■水海道第一高等学校・附属中学校
■並木中等教育学校
■つくばサイエンス高等学校
「未来をつくる人」を育てていくために
もともとNHKのチーフ・プロデューサーとして働いていた久米さん。はじめに転職を考えたきっかけから聞いた。
年齢的な節目もあり、「第二のキャリア」を考えるようになった、というのが転職を意識したきっかけだったように思います。より直接的に社会に働きかける仕事がしたい、目の前にいる誰かのために働きたい、そういった思いを抱くようになりました。
NHKに入局したのは「少しでも社会を良くしていきたい」と考えたから。実際にそう思える仕事でもあり、多くの番組を制作することもできました。特にディレクター時代には、声なき声に耳を傾け、地道に取材を重ね、やりがいもあり楽しかった ですね。1年のうちの3分の1は 海外を飛び回る年もありましたし、普段なら会えないような方にもたくさん会うことができました。ただ、やはり直接的な手触り感を得づらいのが「放送」という世界でもあります。仮に1000万人が番組を見てくれたとしても、視聴者の反応や変化は感じづらいもの。小さくてもいいので、受け取った人たちが何を感じ、どう変わったかが見える、そんな手応えのある仕事をしてみたいと考えました。
転職を考えるようになり、これまでのキャリアを振り返ることで、私は何がしたいのか、何を一番大事に思っているのかをあらためて気づくことができた、といってもいいかもしれません。これからの社会の担い手となる子どもたちの小さな変化や成長を慈しみ、少しでも社会にインパクトを与えていける仕事がしたい。むしろそこにしか興味がないのだと気づきました。
そういったタイミングで偶然目にしたのが、茨城県による「校長公募」だったという。
私自身は100年後の未来を見ることも、直接的につくることもできません。ただ、「未来をつくる人」を育てることはできるかもしれない。それがまさに「教育」ですよね。非常に難しい仕事ですし、大きな責任が伴う領域ではありますが、やってみたいと考えるようになりました。未来をつくる子どもたちは、親でさえ気づかないような小さな変化を積み重ね、成長していくもの。教育現場に入り、子どもたちの日々の生活を近くで見守り、寄り添っていきたい。そう考え、応募に至りました。
久米麻子(くめあさこ)さん|古河中等教育学校 副校長(2025年度に校長着任予定/4年間の任期付き)
NHK(日本放送協会)においてチーフ・プロデューサーとして勤務後、2024年4月に古河中等教育学校 副校長に就任。NHK時代はディレクターとして「NHKスペシャル」「ETV特集」等で社会課題に着目したドキュメンタリー等を制作し、ギャラクシー賞、ATP賞等を受賞。東日本大震災による原発事故後の農地再生を取材した番組で農業ジャーナリスト賞受賞。プロデューサーとして防災にも携わり、首都直下地震のプロジェクトでイタリア賞ウェブ・インタラクティブ部門受賞。公募を知ったきっかけについて「NHK時代に防災プロジェクトでソーシャルインパクトという言葉を使っていたのですが、採用の文脈で目にし、興味を持ちました。」と語る。
社会は、自分たちで変えられる。生徒たちがつくる「こども食堂」
こうして古河中等教育学校(公立中高一貫校)の校長先生として採用された久米さん。2024年4月より副校長としての勤務が始まった(校長着任まで1年間は準備期間となる)。学校でやっていきたい教育とはどういったものなのだろう。
一般論ではありますが、問題意識を持っていても「どうせ社会は変わらない」と諦めてしまう子どもたちが多いように思います。そうではなく、社会にアクションを起こすことで「自分たちで社会は変えられる」と知ってもらいたい。そういった経験を通じて、自分は必要とされている、役に立つことができる。ここにいていい、そう思える自己肯定感、自己効力感を育みたいと考えています。
例えば、その一例として 「探究活動」で始めたのが、生徒たち自身が関心を持った「社会課題」に対してさまざまな人を取材し、直接話を聞くというもの。相手に共感し、プロジェクトを立ち上げ、課題解決のために自分たちに何ができるか考えてみることを大事にしています。あくまで生徒たちが主体となり、私はサポート役、相談相手となっていければと考えています。
副校長着任から約3ヶ月。すでに取り組みの「種」が生まれていると久米さんは話してくれた。
ある教員から、「こども食堂」を生徒主体で運営できないか、という話をもらいました。私自身、「こども食堂」を支援するNPOにプロボノとして参加していたこともあり、「いいですね!ぜひ!」と意気投合して。その教員の呼びかけで、すぐに生徒たちが集まり、「古河中等こども食堂」プロジェクトが動き出しました。
そのスピード感や、生徒の意欲にとても感動しましたし、驚いたのは、個性豊かな生徒たちがチームに加わったこと。「社会福祉」や「栄養学」に興味がある生徒はもちろん、医療に感心がある、子どももお年寄りも使えるスプーンを開発したい、経営や事業運営をやってみたい、さらにはアプリを開発したいので「こども食堂のプロジェクトの中で何か作れないか」と加わった生徒もいました。
まさにソーシャルインパクトのための仕事で求められるチームビルディングそのものですよね。「アプリを作りたい」と言った生徒の話を聞きながら、前職時代、エンジニアたちが言っていたことを思い出しました。「AI、データサイエンス、デザイン、マーケティング、それぞれ得意なことを掛け合わせたプロジェクトをやりたい」と。オンラインも活用し、各々が得意なスキルを持ち寄り、課題解決のためのチームを組み、プロジェクトを進めていく。まるで最先端のIT企業のようなスキームを生徒たちがやろうとしていることに驚きました。
よく「日本の子どもたちは夢がない」と大人がぼやくのを聞きますが、そんなことはないと思います。気になること、知りたいこと、情熱を持っていることはたくさんある。耳を傾け、話を聞き、背中を少し押すことで、どんどん自由にアクションを起こしていける。
「こども食堂」の他にも、さまざまなプロジェクトが立ち上がっています。全国的にも茨城県として先駆けて取り組んでいるラーケーション(*)という制度の一環で、生徒たちが自分たちで自治体、NPO団体、企業などにアポイントを取り付け、県内だけでなく東京にまで足を運び、取材するところまでアクションを起こしています。
私も生徒たちが作成した取材依頼のメールを事前に読んで驚いたのですが、よく調べているし、何を聞きたいかも明確。何より、なぜ知りたいか、情熱が溢れており、「このメールを受け取った人は断らないだろうな」と思える書きぶりでした。取材を終えて学校に戻ってくるなり、「対等に話してくれた」「熱量を感じた」と興奮気味に話す生徒たちの姿を目にし、改めて素晴らしいなと感じることができました。このあと、自分たちが見つけた社会課題をどう解決していくか、楽しみです。
(*)ラーケーション …地域に出かけ、多くの人と出会う「体験活動推進日」。体験的・探究的な新しい学びのための取り組みを指す。全国的にも茨城県は先進的に導入しており、「体験活動推進日カード」を参考に計画を立てた後、学校に申請し、活動を行なう。 古河中等教育学校では保護者、校長の許可のもと、生徒だけでの取材・調査等を実施している。
校長着任前には1年の準備期間があり、副校長として勤務をする 。取材をした のは副校長着任から約3カ月が経過したタイミング。初めての学校での仕事について「生徒が愛おしくてしかたありません。」と笑顔で語ってくれた久米さん。「できるだけ生徒と話す機会を持つようにしています。職員室まで会いに来てくれる生徒もおり、昼休みや放課後もさまざまな生徒と話をしているのですが、新しい気づきや発見がたくさんあるので楽しくて。先生たちとの会話も新鮮です。 例えば、私の提案に対して「いいですね!生徒たちも喜ぶと思います」と、必ず主語は「生徒」です。「生徒たちのために」という価値観を共にできる人たちと働く心地よさ、清々しさがあります。そのあたりは「社会を良くするために働く」という人たちの集まりだった前職のNHKとも共通する部分かもしれません。」
DXハイスクールに採択。デジタル活用も重要テーマに
もう一つ、久米さんが「やっていきたいこと」として挙げてくれたのがデジタル活用・DX推進だ。この取り組みも「生徒たち主導」を大切にしたいという。
「探究活動のなかにデータサイエンスを取り入れたい」というのも、いま動き出していることです。世の中には膨大なデータがあり、無料で公開されているものも多い。 データの活用や分析は探求心を芽生えさせる力がありますし、問題解決のスキルにもつながるため、推進していきたいと考えていました。
ちょうど古河中等教育学校は、DXハイスクール(*)という文科省がICT支援を目的に1000万円を約1000校に配るプログラムにも採択されたところ。その予算をいただけたので、タイミングとしても非常に良かったなと思っています。
(*)DXハイスクール…高等学校DX加速化推進事業。情報、数学等の教育を重視するカリキュラムを実施するとともに、ICTを活用した文理横断的な探究的な学びを強化する学校などに対して、そうした取組に必要な環境整備の経費が支援されるというもの。
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/shinkou/shinko/1366335_00009.htm
いかにその予算を有効に使うか。パソコン部の先生にご相談したら「子どもたちに考えてもらいましょう」という話になりました。パソコン部には1年生から6年生まで(中学1年生から高校3年生にあたる)、ロボットに関心がある、CGを作りたい、ゲームを開発したい等、さまざまな関心を持った生徒たちがおり、どんどん意見が出てきましたね。ちなみに、全てのアイデアを盛り込んだ見積もりをベンダーにお願いしたら、あっという間に予算オーバーになってしまって(笑)。ただ 、それくらい「やりたこと」に溢れているということ。あとは、どう優先順位をつけるか、どう全校のために役立てていけるか、そのあたりも含めて子どもたちと考える機会にしていければと思っています。
「古河中等教育学校は創立以来、全員が個人研究で論文を仕上げる等、探究活動を先進的に実施してきた学校です。そういった個人研究を活かしつつ、チームを組んで地域に働きかけるプロジェクトが実施できたらと思っています。」と久米さん。「公立中高一貫校なので6年生(高校3年生にあたる)が、1年生(中学1年生にあたる)と一緒に取り組めるのもいいところ。6月の文化祭でも、6学年が一緒に企画実行したプロジェクトがあり、意見を言い合ったり、励ましあったり。 そのような年代をこえたコミュニケーションは見ていて心が温かくなりますし、生徒たち自身のコミュニケーション能力向上等、成長の原動力にもなると考えています。」
「弱さ」を許容できる、やさしい社会に一歩でも近づけるように
取材後半に話を聞いたのが、今後について。まずは古河中等教育学校において目指していきたいところとは――。
あらためてですが、生徒たちが自発的に活動をし、主体者となっていく学校にしていきたいです。どうすればそのアクションを引き出していけるか、どういった環境づくりが必要か、教員の声に耳を傾け、結集させていくようなことができたら良いなと思っています。教員のみなさん自身もとても探究心が強く、抵抗感なく 新しいことにどんどんチャレンジしています。一方で、まだまだ局所的なトライアルも多いため、学校全体の取り組みやビジョンにしていきたい。教員一人ひとりのビジョンはそれぞれ違っていいと思いますし、むしろそれが多様性のある学校を作るともいえます。あとは、それらを学校全体のビジョンに落とし込んでいくのが、私の役割だと考えています。特に本校の教員は「6年間」というスパンで、子どもたちの成長を見ていくスキルが非常に高い。そのあたりをどう活かしていくかがマネジメントの仕事だと思っています。
ここからは私個人のビジョンにも重なるのですが、あたたかく、やさしい社会になったらいいなという思いがあります。NHK時代に格差や貧困、福祉、宗教対立など、さまざまなテーマで番組を制作してきました。被災地での取材も重ねてきました。そういった現場で感じたのは、どれだけ強い人でも、自分ではどうしようもない何かがきっかけで、心が折れてしまうこともあるし、社会からこぼれ落ちてしまうこともあるということ。ゆるやかに下るのではなく、滑り台のように急降下してしまう。そんな時に、頼れる人がいるか。助けを求められるか。そのことがとても大切だと気づかされました。ですので、誤解を恐れずに言えば、「強い子」を育てるのではなく、「自分の弱さを知っている子」を育てたい。困った時、つらいときには誰かに助けを求めて欲しいんです。それが、不確かな未来を生きていくために必要な本当の強さだと思っています。私がグループワークを大切にしているのもそのためです。みんなが何かしらの役割を持ち、誰か一人でも欠けたら成り立たないチームとして取り組む。助ける、助けられるということを体験し、思いやりを育んでいく。そして将来、社会の価値観を、弱さを許容するような、あたたかくやさしい方向に変えていく大人になってほしいと思っています。