厚生労働省(以下、厚労省)での社会人経験者採用にあたり、大手新聞社を経て、2023年4月に厚労省に入省し、課長補佐として働く山田 正敏さん(こども家庭庁に出向中 ※2024年11月現在)を取材した。なぜ、彼は新たなキャリアに厚労省を選んだのか。そこには「生活・暮らしに直結する問題に向き合い、解決に貢献していきたい」という思いがあった――。
前職、大手新聞社にて勤務をしてきた山田さん。転職を考えるようになったきっかけ、そして厚労省を志望し、入省を決めた理由とは。
もともと、人々の生活や暮らしなど、より「現場」に近いところから社会に貢献できる仕事がしたいと考え、新聞社に入社しました。実際、新聞記者として、さまざまな現場に触れることができ、非常にやりがいのある仕事でした。そのなかでも特に印象に残っているのが東日本大震災です。当時、岩手県宮古市という沿岸部で勤務していたのですが、私自身、住んでいた家が全壊するなど、被災者の一人となりながら、地元住民の方の必死に生きる姿や、復興に向けたまちづくりの課題などを取材しました。東京勤務となった後も、社会部で震災や原発事故関連の取材を行い、忘れられない経験となりました。
こういった経験を経て、一層強く抱くようになったのが、身近な「暮らし」に関わる問題の解決にもっと仕事で携わっていきたい、より直接的に誰かの力になれるよう貢献をしていきたいという思いでした。そこで、新聞社の中で、教育や医療、スポーツ事業などを行う部署へと異動させていただき、いくらか取り組めるようになったのですが、私自身、子どもが生まれたこともあり、日本の少子化に対しても強い危惧を抱くようになりました。その点、厚労省では、生活に密着した課題や、次世代育成支援に関する対策の全般を担っています。その意義、責任の重大さを感じ、入省を志望いたしました。
私生活では3歳の双子の父でもある山田さん。「厚労省も、出向先であるこども家庭庁も、非常に子育てへの理解がある職場だと感じています。子どもが病気の時はテレワークなども積極的に活用していますね。もちろん突発的な事案など、急な対応が必要なこともあります。ただ、そういった時も職員同士が互いに助け合う文化があり、とても助かっています。」
こうして2023年4月、厚労省に入省した山田さん。2024年7月まで「新型コロナウイルス感染症対策本部」など感染症対策の部署にて勤務してきたという。そこでの業務概要・やりがいについて聞いた。
はじめに配属された新型コロナウイルス感染症対策本部では、コロナ患者に対する公費支援を担当しました。具体的には、2023年5月に新型コロナウイルス感染症は「5類感染症」に移行しましたが、その後も治療薬や入院医療費などについては一定の補助が残っていたため、2024年4月の平常化を目指して、段階的に縮小させていく施策に携わりました。また、今後新たな感染症が発生した場合に備えて、どういった対応・対策を講じていくべきか、その計画づくりにも取り組みました。もちろん私一人で成し遂げたわけではありませんが、さまざまな貴重な経験を積むことができました。
特にやりがいだと感じたのは、国民生活に関わる重要政策に携われたことです。新型コロナウイルスに感染した場合の自己負担額の決定は、その一つと言えます。様々なデータや数字を踏まえ、大臣や省内幹部と議論を重ねながら、政策を形にしていく過程には、非常にやりがいを感じました。厚労省での仕事は、自分たちで決めたことが、すぐ目の前の社会で形になっていく。ここは新聞記者として働いていた頃の仕事との大きな違いだと思います。
もちろんマスメディアには現場で聞いた声を拾い、広く伝えていく使命があり、世の中を大きく動かす力があると思います。一方で、発信後の反響や社会への影響に関しては、どうしても「世の中の流れ」に委ねる部分が大きい。その点、国の仕事であれば、そこで起こっている問題に対し、制度や予算を通じて直接アプローチができます。どう法律を変えていけばいいのか。また、そこに予算をどう投じるのか。一歩踏み込んでいくことができる。新聞記者時代にいろいろな取材をしてきたからこそ、その重要性がより一層感じられているように思います。
2024年7月より子ども家庭庁に出向し、障害児支援に取り組んでいる山田さん。「障害を持ったお子さんやご家族にどのような支援をしていくのがいいのか。障害児支援の質を高めていくためにどうしたらいいか。本当に様々な課題があり、多方面からそれらの課題にアプローチしていければと思います。」
続いて聞けたのが、厚労省で働く上で、山田さんが大切にしてきた考えについて。
「現場」の方々の声に、真摯に向き合い、耳を傾けていく。ここは非常に大切だと考えています。そのためには、まず自分自身が積極的に足を運ぶこと。国会の期間中は、どうしても役所での仕事が多くなりますが、それ以外の比較的落ち着いている時期などは、時間の許す限り、現場を訪れ、自分の目で見て、耳で聞くように心がけています。
また、霞が関にいても、当事者の方をはじめ、事業者、業界団体、自治体など、さまざまな人たちとのやり取りがあります。そうした声の中には、国の政策を批判するもの、改善を求めるものなどもありますが、それらをネガティブに捉えるのではなく、「私たちが見えていない課題について教えてくださっているもの」とポジティブに捉えていく。そして、現場で起きていることに想像力を働かせ、しっかりと受け止めていく。こういった意識は常に持っていないといけないと思っています。
そうして見えてきた課題に対し、時には専門家の方と意見交換などもしながら、予算や法律を用いてアプローチしていくことが、国の重要な役割だと感じています。
そして最後に聞けたのが「これから仕事を通じて実現していきたいこと」について。
一つの分野にこだわらず、医療、年金、労働、子育てなど幅広い分野で、誰かの「暮らし」を助け、支えていけるような仕事に携わっていければと考えています。社会のためになりたい。困っている人、苦しんでいる人の力になっていきたい。これが私の原点であり、「仕事」だと捉えています。
特に子どもが生まれたことで、そういった思いはより強くなっていったのかもしれません。現在、3歳になる双子の子どもたちがいるのですが、この子たちが大きくなった頃の日本はどうなっているのだろうとよく想像するんですよね。どんどん人口が減り、経済が先細り、医療保険や年金の問題なども深刻になっていく。本当にそういった社会でいいのだろうかと。自分たちの世代だけでなく、次の世代の人たちが安心して暮らせる社会であってほしい。そういった社会に一歩でも近づけるよう、人生の大部分を占める「仕事」を通じ、貢献していければと思っています。