教育、科学技術・学術、スポーツ、文化の振興を通じ、「未来を切り拓く人づくり」を推進する文部科学省(以下、文科省)。様々なテーマに挑む、多様なバックグラウンドを持つ民間人材(総合職/一般職 中途採用)の採用を強化している。今回は、そのなかでもスポーツ庁で参事官(地域振興担当)付施設企画係長として働く小林謙太さんを取材した。もともと製薬会社、テレビ局、保険会社で営業のキャリアを積んできた彼は、なぜ文科省(スポーツ庁)への転職を決意したのか。そこには、「スポーツの持つ可能性を信じる心」と、「国の立場から社会に還元したい」という熱い思いがあった。
※画像内は転職時の年齢となります。
製薬会社、テレビ局の営業を経験した後、親族の介護のために時間に融通のきく働き方を求め、地元・新潟で保険の営業をしていた小林さん。まずは、今回の転職を考えたきっかけから伺った。
3社での営業経験を通じて、成果に向き合う厳しさや、信頼関係を築く大切さを学べたことは、私にとって大きな財産です。非常に恵まれた環境だったと思います。ただ、介護をしていた祖母から生前に言われた「本当にやりたいことをしなさい」という言葉がずっと胸に残っており、自分のキャリアをもう一度見つめ直すことにしました。
改めて本当に自分がやりたいことは何か。そう突き詰めて考えたとき、行き着いたのが「スポーツに関わりたい」という思いでした。
というのも、これまでの人生において、私は常にスポーツから多くのことを学んできました。とりわけ、高校生のときに両親を相次いで病気で亡くした時期がまさにそうでした。当時はあまりに過酷な現実を受け止めきれず、頭の整理もつかない日々でしたが、そんな自分を支えてくれたのがスポーツでした。
中学から陸上競技を始め、中距離走に取り組んでいました。非常にきつい種目ですが、走っている瞬間だけは、余計なことをすべて忘れることができました。幸いにも、インターハイや国体での入賞といった成果にも恵まれ、そこから学校外でも様々な人とのつながりが生まれました。そうして出会った方々に支えられながら困難を乗り越え、成長することができたのだと思います。スポーツがなければ、間違いなく今の私はありません。
スポーツには、健康増進や、目標に向かって努力する精神を学べることなど、多くの価値があります。ただ、私はそれ以上に、「スポーツは時に人を救う」ということを、身をもって知りました。だからこそ、自分の経験を活かして、今度は私が誰かの力になりたい。スポーツを通じて社会に還元したい。そう強く思うようになり、新たな環境へ踏み出す決意をしました。
スポーツ関連の民間企業で働く選択肢もあるなか、なぜ「国で働く」ことを選んだのか。
10年以上民間企業で働く中では、自社のサービスや商品を提供することで、目の前の顧客を幸せにすることを考えてきました。それも非常に充実した仕事でしたが、「スポーツ」というテーマで私がやりたいのは、市場原理の枠の外にいる人や、そもそも今はスポーツに触れる機会すらない地域の人々も含めてアプローチしていくこと。「点」ではなく「面」として、日本全体を広く捉えながら課題に向き合いたいと思いました。
そのためには、制度やインフラの構築から関わっていける「国」の立場で働くほうが、自分のやりたいことにフィットするのではないか。そう考え、「スポーツ庁」を目指そうと思い立ち、「スポーツ庁 採用」で検索し、文部科学省の採用サイトにたどり着きました。
当時、私は既に30代で、転職経験は2回、行政での実務経験はゼロ。正直なところ、「文科省(国家公務員)への転職は難しいだろう」とは思ったのですが、「スポーツの可能性を信じる気持ちの強さだけは、誰にも負けない」という自負もあり、勇気を出して応募しました。
実際の選考では、まず「スポーツの持つ力」を一人でも多くの人に届けていきたいという思いを伝えました。その上で、これまで営業経験で培った「人に向き合う姿勢」や「課題を捉える力」を活かし、今度は社会にその価値を広く浸透させる側として挑戦したいとお話ししました。幸いにもご縁をいただき、スポーツ庁におけるキャリア採用の第1期生として、入省することになりました。

早稲田大学スポーツ科学部スポーツ科学科卒業後、製薬会社、テレビ局、保険会社を経て2026年2月に文科省に入省した小林さん。今回の決断の背景にある自身の過去についてこう振り返る。「高校時代、両親がいないことで周囲から『可哀そうだ』と思われることが嫌で、20代の頃までは家族の話には一切触れてきませんでした。しかし、時間と共に自分の中でも折り合いがついてきて、ようやく過去と向き合えるようになった。スポーツを仕事にして、この世界のどこかにいる『かつての自分』のような人の役に立ちたいという思いが芽生えたのだと思います」
2026年2月に入省した小林さん。現在のミッションとは。
現在、スポーツ庁で参事官(地域振興担当)付施設企画係長として、地域の方々が身近な場所で安全にスポーツを楽しめる環境づくりに関わる部署で働いています。具体的には、全国の自治体にある体育館やグラウンド、学校の運動場、公園、広場など、地域にあるさまざまな場所を、子どもから高齢者まで、また障害の有無にかかわらず、誰もが使いやすい「スポーツの場」として活用していくための施策を行なっています。
実は、全国にある社会体育施設はバブル期に建てられたものが多く、老朽化が深刻となっています。そこに対して、人々が安全に利用できるよう、設備の維持管理をしていく必要があります。また、人口減少が進む中で、施設数・設備数の見直しも急務となっています。
そのなかで私が担っているのは、今後の施策の元となるデータをとりまとめる業務です。各都道府県や市区町村の担当者の方々に調査表を送付・回収し、各自治体における体育施設の耐震化率や空調設備の設置状況といったデータを把握・整理していく。これにより、具体的な支援や施策の策定へとつなげていきます。

スポーツ庁が主催する「学生コンペ2025」では、新潟大学の学生がスポーツ庁長官賞を受賞した。「新潟に出張し、学生の副市長へのプレゼンに立ち会いました。その様子が地元の新聞に掲載されたのを見たとき、自分の部署での取り組みが形になっていく醍醐味や、自分の仕事の意義を感じた瞬間でもありました。こうした形で地元の新潟に帰れたことも感慨深かったです」と小林さん。
働くうえで感じる「仕事のやりがい」とは?
自分の手がける仕事が、スポーツを通じて誰かの選択肢を広げたり、前向きな一歩を踏み出すきっかけになったりする、その可能性を秘めていること自体が、私にとっての大きなやりがいです。
また、少しずつですが、自分の中でもプラスの変化を感じています。入省して何より驚いたのが、霞が関では、年次に関わらず、「日本の未来を良くするためにはどうすべきか」という高い視座の会話が日常的に至る所で交わされていることでした。正直なところ、前職までは「翌年のこと」くらいしか見据えられていなかった私にとって、「これほど広い視野で未来を考えている人たちがいるんだ」という事実は、とても新鮮な衝撃でした。そうした周囲からの刺激もあり、最近では私自身も少しずつ「日本の未来のために」という広い視点でものを見られるようになってきたように思います。

一方で、仕事の厳しさとしては「自分が作成する文書や通知が、スポーツ庁、ひいては国としての公式な意思として世に出ていく点」を挙げてくれた。「一つひとつの表現や数字、その根拠に極めて高い正確性が求められるため、これまで以上に慎重に確認が必要だと痛感しています。民間企業でも正確さは当然重要でしたが、行政の仕事では、その文書が社会全体に与える影響や受け止められ方の重みを、より強く意識する場面が多いですね」と小林さん。
取材の終盤、小林さんの今後の目標について伺った。
入省して半年が経ち、霞が関独自の用語や仕事の流れにはようやく慣れてきましたが、まだまだ覚えなければならないことがたくさんあります。目先では、まずは目の前の業務をミスなく着実に遂行し、1つでも多くの仕事を覚えていくこと。ここに尽きます。
一方で、私は「係長級」としてキャリア採用されているため、いつまでも悠長なことは言っていられません。上司(課長補佐)と部下をつなぐ潤滑油となり、メンバーをしっかりとサポートできる存在を目指したいと考えています。そして中長期的には、たとえ他の省庁・部署に異動することがあったとしても、「スポーツ関連のことなら、小林に聞けば間違いない」と周囲から頼りにされるような存在になっていきたいです。
最後に、小林さんにとって「仕事」とは。
仕事とは、「自分の経験を、誰かのために使うこと」だと思っています。若くして両親を亡くしたことは、できれば避けたかった過酷な経験でした。ただ、あのつらい日々があったからこそ、得たものも確かにあります。それは、周りの人々の温かさや、今日も普通に生きていることのありがたさ。そして何より、スポーツの持つ本質的な力に気づけたことです。
私自身が困難を乗り越えるために不可欠だったスポーツの価値を広く伝えていく仕事であれば、これからの人生をかけて取り組む意味がある。そう確信したからこそ、今ここにいます。これからもその思いを胸に、日々邁進していきたいです。
