茨城県「校長公募」への応募を経て、茨城県立下妻第一高等学校・附属中学校 副校長に着任した生井秀一さん(2024年度に校長着任予定/4年間の任期付き)。もともと花王にてEC責任者・DX推進の部長職を歴任した生井さんだが、なぜ、学校教育の世界を目指したのか。そこには「アントレプレナーシップを持ち、グローバルで活躍する学生の育成に取り組みたい」という熱い志があった――。
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そもそも生井さんは、なぜ茨城県「校長公募」に応募をしたのだろう。まずは、その理由から伺うことができた。
求人要項に、“起業家的リーダーシップを育成できる人材を求めている”といったメッセージがあり、「まさに私だ!」と運命的なものを感じ、応募に至りました。
前職、花王に勤めながら、早稲田大学ビジネススクール (大学院経営管理研究科)の「アントレゼミ」に通っていましたし、自分なりにアントレプレナーシップを持ちながら働いてきた自負もありました。そういった背景もあり、やってきたことを生徒に教えられるかもしれないと考えました。
もう一つ、大きかったのが「学校で教えてくれること」と「社会に出てから求められる知識・スキル」のギャップに対する課題感です。例えば、ファイナンスや損益計算書(PL)の知識は、会社で働くにせよ、個人事業主で働くにせよ、求められるものですが、学校では教えてもらうことができません。
さらに、これからは海外企業、グローバル人材と同じ土俵で仕事をしていかなければなりません。強く自己主張ができる、ハングリー精神を持ったグローバル人材と渡り歩いていけるか。この先、日本企業がグローバルで勝ち抜いていくためにも新しい価値を生み出す、起業家的リーダーシップ、アントレプレナーシップを持つ人材が求められていくはず。そういった人材の育成に貢献したいと強く思いました。しっかりした基盤を持つ素晴らしい教育現場での学びを、社会やビジネスに応用できるようにする。おこがましいかもしれませんが、その「橋渡し役」になれると考え、挑戦を決意しました。
今回のキャリア選択において「2年間、大学院に通うなかで受けた刺激も大きなきっかけになりました」と語ってくれた生井さん。「定年まで会社に勤め上げても仕事人生は終わりではないですよね。大学院で、起業したり、やりたいことにチャレンジしたり、多様な「挑戦者」に出会えたことで、私自身も一歩を踏み出す勇気をもらうことができました。また、社内だけではなく、社外も含め、個の発信力を高め、価値を発揮する大切さも学びました」
花王ではEC戦略を統括、DX推進を牽引するなど活躍してきた生井さん。大きなキャリアチェンジに迷いはなかったのだろうか。
正直にお伝えすると、非常に悩みました。花王が大好きでしたし、築いてきたキャリアに対し、惜しい気持ちも少なからずありました。ただ、今回のチャレンジに関して、たくさんの花王の社員たちが「ぜひ頑張ってきてほしい」「できることがあれば何でも言ってください」「協力は惜しまない」と背中を押してくれた。社長からも「4年の任期を終えた時、生井が“戻ってきたい”と思えるような会社にしておくから、存分に力を発揮してきなさい」と背中を押していただきました。これだけの多くの人たちに応援してもらえるのは心強いですし、花王のなかでも、かなり珍しい辞め方だったのではないかと思っています。
花王時代から吉本興業に所属し、ラジオに出演したり、EC業界のイベントで講演を行ったり、個人としての活動にも力を入れてきた生井さん。こういった活動が継続できることも決め手になったという。「茨城県 教育委員会の皆様にも親身になっていただき、非常に感謝しています。企業と学校をつなぐ橋渡しの役を担う上で、外部とのつながりも大切にしたい。そういった役割も期待いただき、これまでの活動にも理解と許可をいただくことができました。そこまで言っていただけるなら、花王を辞めてチャレンジしたいと決断に至りました」
そして2023年4月より、茨城県立下妻第一高等学校・附属中学校の副校長に着任をした生井さん。就任から約2ヶ月(取材時点)での取り組み、大切にしていることについて伺った。
今、大切にしているのは、先生方との対話、さまざまな学校活動・行事の見学などです。いきなり外部から「校長候補」という人がやってくるわけですから、やはりみなさん戸惑いますよね。もっと言えば、現状を知りもせず、あれこれと急に口を出されても嫌ですよね。もし、私が逆の立場だったとしてもそう思うはずです。そうではなく、まずは「私が何者か」を知ってもらう。そして私自身も「学校を知る」、まずはここを大切にしようと取り組んでいます。マーケティングでも「3C分析」から始めますが、同じと言えるかもしれません(笑)
学校に来た当初、勘違いされることも多かったのですが、そもそも私は学校を「改革」をしに来たつもりは全くありません。既にある素晴らしい伝統、歴史、考え方を大切にしつつ、新しい価値を加えていく。どんなに小さいことでも、毎日の「気づき」を書き留め、どのような場でお役に立てるか、少しずつ頼っていただけるようになる。ここが目指している姿でもあります。
例えば、先日、私の専門が“デジタルマーケティング”だと知った生徒から「TikTokのコツについて教えてほしいです」と声をかけてもらうことができました(笑)もちろんアドバイスもしますが、それだけではなく、図書室の先生に相談をし、図書室に「マーケティングコーナー」を設けることにしたんです。新聞社で働く私の知人に最新のマーケティング本の選書をしてもらったのですが、リストと一緒に本の寄付もしてもらうこともできました。こういった一つひとつが、生徒たちの選択肢、視野を広げるきっかけになればと思っています。
図書室でいえば、もう一つ、先生たちと「どうすればもっと生徒たちに図書室を活用してもらえるか」と話し合い、少しずつ取り組みを始めているところ。例えば、「毎日通ってくれる生徒さんは、いわばお得意さま。ビジネスで言う“ロイヤル顧客”です」と、会話自体はビジネスそのものですね(笑)マーケティングでいう「N1分析」のためにも、その子にインタビューをしましょうと提案をしました。すごくおもしろかったのが、その生徒から「時計が置かれている位置が見えづらく、長居がしづらい」というインサイトが拾えたこと。その意見をもとに、レイアウトを見直したり、店舗の棚をつくるマーチャンダイジングの知見を活かして本棚を整理したり。あとは今後どれだけお客さん=生徒が増えるか。まさに図書館「経営」とも言えるかもしれません。嬉しかったのは、横のつながりのある他校の図書室の先生が、そういった取り組みを参考にしてくださり、お礼のメールをいただいたこと。失敗しても誰も困ることではありませんし、こういった取り組み一つひとつを大切にしつつ、私を知ってもらう。そして少しずつ頼ってもらえる存在になっていければと思います。
今後、校長として取り組みたいことに「アントレプレナーシップを持つ学生の育成」を掲げる生井さん。そこに込められた思いとは――。
よく誤解されるのですが、私がやりたいのは、アントレプレナー=起業家をつくるということではありません。アントレプレナーの「精神」を養うということ。つまり「逆境に負けず立ち向かう力」そして「人を巻き込むネットワーク」「人間力」「構想力」など、起業家的な精神・思考を育むことを指します。
私自身、起業経験はありませんが、社会で活躍するためには、どのような立場であれ、その「アントレプレナーシップ」が求められると肌で感じてきました。だからこそ、子どもたちにも伝えていきたい思いがあります。
そのために、中学校・高校の6年間で何ができるか。今まさに構想しているところ。例えば、学校と企業を結び、SDGsの視点を含めた校外授業、体験授業はその一つ。すでに楽天さんに手を挙げていただき、会社見学が決定しました。企業理念の背景には何があるのか。英語を公用語として多様な人材と働くというのはどういうことか。ECでモノを売るためには原価、売価、変動費…どういった数字を見ていくか。それらのビジネスがどう社会課題の解決、地域創生などにつながるか。多くの学びを得る機会になればと考えています。
もっと大きな構想で言えば、ゆくゆくは下妻市とシリコンバレーをつなぎたい。例えば、シリコンバレーには起業家精神を学べる有名な学校があるのですが、そういった学校との交流も実現したいと考えています。こういった体験は、英語にせよ、その他の科目にせよ、生徒たちが日々の勉強に向き合う上でのマインドセットにも大きく影響を与えるはずです。テストの点数、大学進学のための暗記ではなく、自ら行動できる人になる、そういった輝かしい未来を描くための学習機会をつくりたい。それが私の思いでもあります。
そして最後に伺えたのが、生井さんご自身の仕事観について。生井さんにとっての「仕事」とは――。
私にとって仕事は「生きがい」ですね。当たり前ですが、人生は有限ですよね。もしかしたら明日、不意に死んでしまうかもしれません。だからこそ、私は、明日死んでも後悔しないように「生きがい」を感じられることを仕事にしたい。人生をかけてでもやりたいことを仕事で実現する。「校長先生」は、まさにそれを体現する仕事だと思っています。
自分でなければできないことは一体何か。考え抜いた末に辿り着いたのが、企業と学校を結びつけ、これからの社会を生き抜く力を持つ人の育成に貢献することでした。今は「答えのない時代」と言われますが、言い換えれば自分で答えを作り、道を切り拓いていける時代とも言えます。だからこそ、考え抜き、自分なりの正解を見つけられる人たちを育てたい。ここに全力で向き合えるのですから、これほど素晴らしい仕事は他にはないですね。