「テレビ朝日という強固なブランド力やリソースを最大限活用することで、クライアントの期待を大きく越えることができるんです」こう語ってくれたのが、大和田仁さん(28)だ。番組ADからキャリアをスタートし、24歳でディレクターに。そして26歳で大胆なキャリアチェンジ。背景にあったのは「大好きなテレビ業界で学んだ“人の心を動かす企画”をデジタル業界で活かしたい」という熱い想いだった。
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デジタルプロモーションやコンテンツ企画に携わっていく――そう考えた時、「テレビ朝日メディアプレックス」には非常にエキサイティングな環境がある。
テレビ朝日グループの中で、デジタル領域を担うのが同社だ。
「あらゆる業界でデジタル活用が進んでいますよね。テレビ業界にも変化が求められている。新しい時代のテレビ局に向け、デジタル重要課題に統合的に向き合うことが必要です。そのためには、テレビ業界の中だけ見ていては大きな変化は望めないと思うんです。」
こう語るのが、大和田仁さん(28)。クリエイティブ事業部に籍を置き、デジタルプロモーションを推進する人物だ。
「私達が見ているのは、テレビ業界だけではありません。今までにもあらゆる業界のクライアントと向き合ってきました」
食品メーカー、化学メーカー、化粧品メーカー、アパレルブランド、外食産業、ゲーム会社、フィンテック企業…これらは実際に今までにプロモーション・販促を支援してきたクライアントの一例だ。
「当社には、培ってきた技術があります。たとえばサイト運営、動画配信、ARやVR。WEB広告や映像制作、データ放送もそう。加えて、様々な業界と向き合うことで、知見やノウハウを蓄積してこれました。今後はこの知見をもとに、テレビ朝日の変革を後押しする。さらに他業界のクライアントにも期待を超えるソリューションを提供したい。そして、まだないビジネスモデルをも創りたいと考えています」
大和田仁(28)
クリエイティブ事業部 事業開発グループ デジタルプロモーションチームのプロデューサーとして、企画提案から実行までをワンストップで担う。今までにはYoutuberを起用した新商品の販売促進、インターネット広告やSNSを活用したWEBマーケティング、AbemaTVのコンテンツ制作やプロ野球のVR配信なども担当。
「デジタルプロモーション」と一言で言ってもアプローチの仕方は日々変化し、多様化している。そういった中で大和田さんが模索する可能性とは。
「たとえば "VR" は数年前からバズワードになっていますが、私達の暮らしに本格的に根付くのはこれからだと思うんです。だからこそ、伸びしろしかない。どういう施策を打てば、人々の心に訴えかけることができるのか。その前例を創りたい。僕らはある意味、壮大な社会実験をしているとも言えるかもしれません」
大和田さんのミッション。それは、デジタルを用いてクライアントのPRや集客を成功させること。制約はほとんどない。
「クライアントのマーケティングをお手伝いする。広告代理店のような仕事が多いのですが、私たちにはデジタルのプロとして、デジタル領域のマーケティング課題に期待されることがほとんどです」
時には非常にユニークなプロジェクトに携わることもあるという。
「特に印象に残っているのが、KDDIグループのSupership社とともに制作・配信を行ったコンテンツ『XRstadium』。それはVR空間の中、球場にいる感覚で、プロ野球観戦できるというコンセプトのものでした。」
もちろん、企画だけで終わらない。
「形にするまでが私の仕事。VRってすごく大きなライブ配信の機材があるんですけど、それを飛行機やら新幹線やらに詰め込んで、全国の球場に設置して。3ヶ月間はずっと球場に出張していました(笑)」
そこから語られたのが、この仕事の面白さだ 。
「正直なところ、全く新しい取り組みをする場合、どれぐらいの視聴者がいて、どういうリアクションをもらえるのかは、想像がつかないことも。なぜなら誰もやったことがないからです。未知の状況で、どうすればビジネスとして成り立つのか。それを考えるのが面白いんですよね」
テレビ朝日グループのデジタル領域において、新たなビジネスを推進していく。誰もやったことがないことを試み、人を動かす仕組みを考えていく――大和田さんは今、テレビとはまた違ったやりがいを感じていると教えてくれた。
「プロモーション施策やコンテンツが視聴者に届けば、何十万、何百万という数のリアクションがある。Youtuberに協力してもらったり、SNSを使ったりすれば、シェアやリツイートで一気に広まっていく。それって、テレビとかインターネットとか関係なく、世の中全体を動かすプロジェクトとも感じられるんですよね」
大和田さんを突き動かすもの、それは「テレビやインターネットが好き」という純粋な想いだ。
「幼い頃からテレビ業界に憧れて、10代でインターン生として飛び込みました。自分で取材した映像がテレビに映し出されたり、遅くまでこだわって作った映像が大きな反響を得たり。誇りを持っていたし、やはりテレビの力は大きいと見せつけられました」
泥臭い仕事も経験しながら、取材、原稿執筆など幅を広げていった。そして24歳という若さで番組ディレクターを任されたことも。では、なぜそんな中、テレビの仕事からデジタル領域へとキャリアチェンジをしたのだろうか?
キャリアを広げる中で、自分の視野も少しずつ変化していったという。
「たくさんの人が本当にこだわって、命をかけてテレビを作っている。そんな風景を長年見てきました。大好きなテレビ業界で培った“人の心を動かす企画”、そして“アイデア”をもっと世に広めたい。この先さらに生活と密着し、必要不可欠なものになっていくデジタル業界で、自分自身ももう一歩先に進むことはできないか」
もしかしたら大和田さんは "テレビ離れ" といった言葉に、悔しい想いも感じていたのかもしれない。そして彼に芽生えたのは使命感。
「テレビは世の中に対して必要なものだし、形を変えながらも絶対に残り続けていくと思う。それなら僕がその状況を作ってやろうと思ったんです。さらに二段、三段跳びで、人としての階段を上れる場所を求めていたのかもしれません。ねばって企画を考えて、プレゼンする。一番ヒリヒリするし怖いけど、楽しい瞬間ですよね」
最後に語ってくれたのが、彼なりの仕事観だ。
「人生において仕事をしていく年数ってすごく長いですよね。それを単純なお金稼ぎには絶対したくないんです。うちには、Webを専門にする人もいれば、デザイナーやエンジニアの専門職の人もいる。そして、動画配信やVRなど、新しい技術を専門にする人もいて、様々な専門家とタッグを組んで、新しいビジネスを創り上げる。それによって新しい価値を提供できたら、とても幸せなことだなと」
大和田さんは熱い想いを原動力に、今日もプロジェクトを進める。