INTERVIEW
ジーンクエスト|代表取締役 高橋祥子

遺伝子解析は序章。生命の謎に迫る、果てなき探求

掲載日:2017/06/07更新日:2021/02/18

AMBI『VOYAGERS/ボイジャーズ』とは?
若きトップランナー“冒険的航海者たち(VOYAGERS)”へのインタビューを通じ、「志」に灯をともす特集企画。彼ら、彼女らはなぜ高い壁に挑むのか。変化が激しく、先の見えない時代。冒険に飛び出し、時代を切り拓く。その勇姿と挑戦の物語をお届けします。

掲載日:2017/06/07更新日:2021/02/18

生命の謎を全て解明し、社会に生かしたい

自分はどのくらい病気になりやすいのか。

もし、病気発症リスクを事前に知ることができたらどうだろう。不摂生をやめて生活習慣の改善に努めるかもしれない。保険・貯金・住まい・仕事…人生を考え直す人もいるだろう。

病気、つまり人類に共通する「生命の課題」。ここに挑もうとする一人の若手起業家がいる。それが高橋祥子さん(29歳)だ。

高橋さんは遺伝子解析サービスを提供するベンチャー企業「ジーンクエスト」の代表。同社が提供しているのは、専用キットで唾液を送付することで疾病リスク(約300項目)を解析してくれるサービスだ。

また、彼女たちがユニークなのは、事業だけでなく、学会発表も並行していること。民間企業や東京大学と共同研究も実施している。

もともと高橋さんは研究者だった経歴を持つ。京都大学と東京大学大学院で、生活習慣病や糖尿病メカニズムなどの研究を行なってきた。ただ、彼女が選んだのは研究者ではなく、起業家の道だった。

「生命の謎に迫り、社会に生かしたい」

起業に至るまでの軌跡、そして人生を変えた転機とは―。彼女の「志」に灯がともった瞬間に迫ってみよう。

居心地のいい場所にいたら、自分がダメになってしまう

関西出身で、大学時代は京都で過ごした高橋さん。もともとは、研究室に閉じこもり、好きな研究に没頭するタイプ。経営者とは真反対の性格だったと語る。そんな彼女を変えたきっかけは「同じ場所にいつづける息苦しさ」だった。

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大学院に進むために東京へやってきたのですが、それが私にとって大きな転機になったと思います。一生関わることはないと思っていた人たちと出会い、凝り固まっていた自身の考え、偏見に気がついたというか。

正直、京都はものすごく居心地が良かったんです。ただ、在籍していた学部でいうと、90%以上の学生がそのまま同じ大学院の研究室へと進んでいく。言ってしまえば、自ら積極的に決断しなくても進路を決められる環境でした。

ずっと関西で育ってきて、似たような環境、同じコミュニティの人たちと過ごしていく。そのことに少しずつ息苦しさを感じるようになっていて。良い例えかわかりませんが、コンビニに売っている「みかんゼリー」ってありますよね。透明なゼリーのなかに缶詰のみかんが入ってるやつ。当時、「私はゼリーの中で身動きがとれず、呼吸もできない“みかん”かもしれない」と感じていたんです。

ただ、21歳で研究しかしていなったから、どうすれば外の世界に飛び出せるのか、全くわかりませんでした。そんな時、今でも覚えているのですが、大学4年生になる春休み、突然パッと思いついたんですよね。「ちょっと東京に行ってみよう」って。その日のうちに夜行バスで東京大学のキャンパスを見に行きました。すぐにまたバスで帰ってきて、その時、京都を飛び出して東京へ行こうと決めました。

研究の道よりもリスクが少ない。それが「起業」だった

こうして東京へとやってきた高橋さん。自身のことを「もともとは人見知りで、表に出る性格ではなかった」とふり返る。東京で暮らしはじめた彼女をさらに大きく変えたのが、2011年に起こった東日本大震災だ―。

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東京に来てちょうど1年ぐらいの時、東日本大震災が起こりました。その時、たまたま陸前高田市にボランティアに行ったんです。そこでの出会いはものすごく人生に影響を与えたと思います。

ボランティアの参加者であったり、地元の方々、団体の方、ベンチャーの経験者…ものすごくバラエティに富んだ方々と出会うことができたんですよね。中には、私が大学院生だというと「そもそも大学院って何?」という人もいて(笑)。

じつは、そういった出会いがあるまで、ビジネスって「金儲け」のイメージが私のなかで先行していたんです。でも、社会を良くするために起業している方、働いている方々と出会って視野が大きく広がりました。

ちょうど大学院に通いながら、将来について考えていた時期。

たとえば、ポスドクになったとしても正規雇用される可能性はかなり低い。20代で教授になれる可能性もほぼゼロです。そう考えた時、研究の道に進むより、会社を立ち上げたほうが、やりたいことができる道に近げる、と。起業のほうがリスクが少ないと考えるようになりました。

今ではなく、「未来」が楽しくなる選択を

大学院在学中、研究室の仲間とディスカッションを重ね、「ジーンクエスト」を立ち上げた高橋さん。当時の大学院教授も、その道を後押ししてくれたという。

しかし、すべてが順風満帆というわけにはいかなかった―。

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もともと私は「全力で努力すれば、どんな困難だって乗り越えられる」と考えるタイプでした。自分でいうのもいやらしいですが、成績は常に上位だったし、研究で名誉のある賞をいただくこともできた。目標は必ず100%で達成できる。そう信じてきたんです。

ただ、「経営」というのは全く次元が違う話。事業のことも、組織のことも、人と会って営業するということも…頑張ったとしても、どうにもならないことばかり。むしろ、できないことしかない。

できない自分に対して「なんて自分はダメな人間なんだ」と責めていく日々が続きました。いわゆる完璧主義だったのかもしれません。ものすごく辛い時期で。そんな時、ある先輩の経営者から言われた一言に救われたんです。

「その日できたことを、一つでもいいから褒めてあげたほうがいい」

自分で自分を褒めるという発想がなかったのでハッとして。そこから少しずつできることを増やしていくことができ、光が見えてきたというか。

現在は、少しずつ実現したいことがカタチになっていって、本当に起業して良かったという思いしかない。個人では絶対にできなかった研究をして、社会に発信する。次の研究についてディスカッションしたり、考えを巡らせたり、「すごいことが起こるかもしれない」という予感にわくわくしています。

もちろん会社としての課題はたくさんあります。正直、経営者は大変なことばかりです(笑)。ただ、「今よりも未来のほうが大事」という考えがあって。

「未来が楽しいけど、今がつらい」という状況なら、喜んで引き受けたい。すばらしい未来を描ければ、いまの行動だって良い方向に変わりますよね。そのことに気付いてから、精神的に楽になりましたね。

生命を100%解明することはほぼ不可能。だから、おもしろい。

どれだけ困難な道だったとしても、未来を志向し続ける。そこには、高橋さんの揺るがない意志があった。

そして、最後に伺えたのが「迷ったときには困難な道を選ぶ」という彼女の仕事哲学だった。

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道に迷う、決められないとき、「簡単ではないほう。困難な道を選ぶ」ということを大切にしています。困難な道というのは、私のなかで「どうなるか、想像がつかない。だから打ち手が見つからない。難易度が高そうに見える」ということだと捉えています。

つまり、予測できないほうへ敢えて進む。それって想像以上の結果が待っていることだと思うから。そうじゃないと「挑戦」とは呼ばないですよね。

ただ、何でも新しいことを手当たりしだいにやればいいっていうもんでもないですよね(笑)単に「やったことがないから面白そう」ではなく、価値がある挑戦かどうか。ここはしっかり考えるようにしています。

そんな中、私が人生を通じてやっていきたい挑戦として、生命の神秘を全て解明し、ちゃんと社会に生かせる形にするということです。今はまだやるべきことの100分の1もできていません。だから、すごくもどかしい。まだまだ私に力がなかったり、お金がなかったり。不自由に感じることも少なくありません。まずは制約をできるだけ取っ払っていきたい。

同時に、おそらく全ての制約がなくなったとしても、生命の謎を100%解明することってほぼ不可能で。だからこそ、この領域がおもしろい。途方もないからこそやる価値があると考えています。全力で挑んでも飽きることがない自信もありますし、その全力の挑戦を受け止めてくれるのが「生命科学」だと思っています。

調べたらなんでもわかるこの時代、「わからないこと」ってそこまでないですよね。ただ、「生命」はまだまだ分かっていないことだらけ。こんなにもおもしろいことって、そうそうないですよ。

飽くなき探究、尽きることのない好奇心。そして、研究を社会へ還元したいという思い。彼女の原動力をそこに垣間見ることができた。

「起業を通じて、想像の範囲を超えることにたくさん出会えた」と語ってくれた高橋さん。今日もきっと「想像もしていなかったこと」「すごいことが起こる予感」に心を躍らせているに違いない―。

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