国土交通省(以下、国交省)が、2025年の中途採用を実施へ。同募集にあたり、国交省航空局首都圏空港課 東京国際空港企画室長(※)として働く佐藤 奈美さんを取材した。もともと航空会社にてキャリアを築いてきた佐藤さん。なぜ、彼女は転職を考え、そして国交省への入省を決めたのか。そこには「残りの仕事人生を通じ、民と官の架け橋となり、日本を世界へとよりアピールしていきたい」という思いがあった――。
(※所属・役職は2025年1月取材時点のものです)
前職は航空会社にて勤務し、キャリアを築いてきた佐藤さん。そもそも、なぜ転職を考えるようになったのか。そのきっかけから話を聞くことができた。
仕事人生を約40年と考えたとき、折り返し地点が見えてきたことが大きかったですね。ずっと同じ会社で働くということも悪くはないと思っていましたが、せっかくなので別の仕事に挑戦してみたい。そういった思いが強くなり、転職を考えるようになりました。国交省に入省したのが2021年1月だったため、「コロナ禍がきっかけだったのでは?」と聞かれることもあるのですが、じつは転職はコロナ禍の以前から決めており、私のなかでは節目のタイミングでもありました。
転職を考えるなかで、なぜ「国交省」だったのだろう。
もともと祖母や父が教員で、親戚の中にもが公務員が多かったことも影響していると思いますが、仕事で社会に貢献していける「公職」に興味がありました。また、私自身、日本が大好きなので、より、日本という国を世界にアピールしていきたい、そういった思いも強くありました。それらを叶えていけるフィールドとして頭に浮かんだのが国交省でした。じつは航空会社で働いていた2019年当時、国内の航空会社では初となる新機材の導入にあたり、1000ページ以上に及ぶマニュアルの翻訳・編集業務や認可申請業務等を担っており、申請や手続きのために国交省をよく訪れていて身近な存在でもありました。特に官公庁のなかでも国交省は観光や社会インフラ、まちづくりなど、所掌が広いことが特徴でもあり、また、それが人々の生活に直接結び付くものであることから、そういった点に惹かれて志望しました。
もう一つ、どうしても営利追求を活動目的とする民間企業だけでは解決できない課題も、国からのアプローチがあれば、共に解決していけるのではないか?とも感じていました。たとえば、イメージしやすいところで、どう旅客機の遅延を無くしていくか。じつは航空会社だけでは解決しない問題でもあります。国をはじめとするさまざまなカウンターパートとの協議、仕組み・制度へのアプローチ、時には法律の改正が必要となるもの。当時もそういった場や施策はあったとは思うのですが、より一層、民と官の風通しが良くなり、コミュニケーションが円滑になれば、旅客サービスの品質向上はもちろん「日本」のアピールにもつながっていくはず。そういった「民と官の架け橋」ではないですが、両方を知る立場からさまざまな問題を解決していきたいと考え、入省を決めました。
航空会社時代、客室乗務職の責任者も経験した佐藤さん。国交省入省時の選考について聞くと「語学力やマネジメント力、海外赴任で身につけた交渉・傾聴力、コミュニケーション力などをアピールした記憶があります。」と話してくれた。「たとえば、『飛行機はちょっとどこかに着陸して誰かのヘルプを求める』ということはなかなかできません。フライト中におけるトラブル(急病人の救護活動など)の処理は責任者の判断が状況を大きく左右します。トラブルに対処しながら、いかに迅速に正しく状況を把握し、操縦中の機長に情報を伝えられるか。旅客への説明を的確に行なえるか。こういった1分1秒を争うマネジメント力や判断力は民間時代に鍛えられた部分だと思います。また、海外赴任時には、文化・背景の違う多様なメンバーと働く機会がありましたが、自らの考えを伝えるだけでなく、相手の主張もよく聞いて落としどころを探す、交渉・傾聴力が身につきました。それらは現在の仕事でも活かすことができていると思います。」
そして、2021年1月に入省した佐藤さん。約半年間は総合政策局 バリアフリー政策課にて「バリアフリー法」改正直後の関連業務を担当。その後、総合政策局国際政策課に異動し、2年間勤務したという。そこで感じた「やりがい」について聞くことができた。
入省後から半年ほど経てAPECやASEANといった国際会議を担当する部署(総合政策局国際政策課)に異動したのですが、そこで得られた経験、感じられたやりがいは非常に大きなものでした。
国際会議で採択される成果文書の協議や調整等に携わっていたのですが、2022年に開催された日ASEAN交通大臣会合、APEC交通大臣会合、そして2023年に開催された三重・伊勢志摩におけるG7交通大臣会合への参画は、忘れられない仕事になりました。特にG7は日本が開催国となるタイミングで携わることができ、運が良かったと思っています。それらの開催に携わることで、「日本を世界にアピールしていく」という、まさに国交省入省の動機でもあった領域に早々に携わることができ、とても嬉しかったです。
G7交通大臣会合では、「イノベーションによる誰もがアクセス可能で持続可能な交通の実現」をテーマに、各国の課題や関連施策を共有し、地域における公共交通のあり方 、イノベーションや交通インフラ投資が果たす役割等について議論を行いました。私は広報業務を担当させていただいたのですが、こうしたテーマに係る会合の成果だけでなく、三重・伊勢志摩の文化や食材といった日本の魅力をアピールするような広報活動にも力を入れたことでそれがポジティブに報道もされ、結果として高い広報効果が得られたと反響があったことも大きな喜びにつながりました。これらはまさに民間企業では決してできなかった仕事の一つだったと思います。
そして現在、東京国際空港企画室の室長として羽田空港の管理を担当している佐藤さん。そこでのやりがいについても聞くことができた。
これまで国際会議という「大きな場」におけるプレゼンス発揮の機会に携わってきたところですが、現在は「空港」という、ある意味スケールは小さいですが、海外の方の「玄関・窓口」となる場において利用者の利便性向上施策に携わっているため、日本のプレゼンス発揮に係る大小それぞれのアプローチが経験できていることで、それもやりがいにつながっていますね。
現在は、訪日外国人6000万人の目標達成に向け、日本の玄関口である東京国際空港(以下、羽田空港)の機能強化に資する施策、羽田空港(周辺も含む)の関係事業者の管理・監督など。羽田空港は国管理空港ですので、いわばその全体のマネジメントは「国」が担う形となっています。羽田空港は大きな空港であり、地方局、空港ビル会社、エアライン、他省庁、二次交通業者、ライフライン業者…こういった様々なカウンターパートとともに日々協議を行いながら、旅客利便性の向上に努めています。
非常にユニークなのは「旅客サービスや利便性向上」といった部分も国交省が主導して取り組んでいる点だ。
コロナを経て、昨今の急速な旅客数の回復はうれしい悲鳴といった面もあるのですが、コロナ前には無かった問題なども生じており、それら一つひとつに対応しつつ、旅客サービスや利便性の向上のため、さまざまな施策に取り組んでいます。 たとえば、24時間空港である羽田空港においては、空港アクセス機能の向上といった点も重要テーマです。インバウンド旅客の急増に伴い、一気に増えたのがタクシー利用でもありました。羽田空港国際線ターミナルの開港当時と現在では、航空便の発着回数や旅客数もだいぶ変わってきていますが、特にタクシー乗り場の規模は利用者に対して非常に限られたスペースでの設計となっており、混雑が課題となっていました。そこで、ビル会社やタクシー事業者と連携し、どうすれば待ち時間少なく乗車できるかアイデアを出し合い、カーブサイドや乗り場の配置改変などを実施。その結果、乗車効率アップ、旅客の待ち時間減少などにつなげることができました。 その他にも、公共交通機関の利用促進などによる駐車場の混雑緩和、シームレスな入国審査・税関検査、空港周辺の地域活性化など、自治体やビル会社、他省庁とも協力しつつ、いわゆる「ソフト面」における利便性向上の施策を主に手掛けているところです。これ以外にも、滑走路やスポットなど空港内部の整備を担う部署も航空局に存在しますので、彼等とも密に連携を取り合っています。
このように省内外でさまざまなやり取り、連携が求められるのですが、やはりそれぞれの立場や意見が擦り合わない場面も少なくありません。特に大切になるのが「民」と「官」でいかに同じ方向を向くことができるか。両方の経験がある私としては、コミュニケーションが円滑に進むよう潤滑油のような役割となっていきたい。そしてより本質的な課題に対して同じ目線が向けられるよう、役割を果たしていければと思います。
やりがいの一方でミスマッチを感じないためにも知っておくべきこととして「“国民のため”という大目的をいかに自分のなかに持ち続けられるか。ここが重要だと思います。」と話をしてくれた佐藤さん。「民間企業であれば、営利追求というシンプルなゴールがあり、全社員がそこに向かって仕事をしていくものですよね。一方で、省庁では、わかりやすい数字目標などが無かったり、また、長期スパンで向き合う課題も多いため、時には「なぜこの仕事をしているのか」と目的を見失いそうになる場面もあるかもしれません。人事異動も多く、上司が変わることも頻繁にあります。方針や指針が変わることもあったり、入省すぐの頃は困惑した記憶もあります。ただ、それらの先には必ず国民がいて、国民のために業務に向き合っていく。この軸をぶらすことなく、粘り強く取り組むことが大切だと思っています。そして、携わった一つひとつの政策や取り組み、法律が後世にも残り、実例となって次の世代や時代につなげていくことができいい意味でのレガシーを作っていくことができるのではないでしょうか。」
そして最後に聞けたのが、佐藤さんにとっての「仕事」とは。そこには、さまざまな困難にもプラス思考で向き合う姿勢があった――。
仕事は「自分自身を成長させてくれるもの」だと思っています。「自分づくり」と言い換えてもいいかもしれませんが、さまざまな人と出会い、社会と関わるなかで、何かに貢献し、自分という存在が形成されていくものなのかなと思います。もちろん大変なこと、困難なこともたくさんあります(笑)ただ、それらを含めて「仕事があったからこそできた経験」になりますよね。いつかは自分のためになる、そういったプラス思考で捉えるようにしています。私自身、航空会社に入社後、順調とは言えない時期を過ごしたこともありましたし、コロナ禍も経験しています。また、緊急度の高いトラブルにも数多く遭遇し、対応してきました。ただ、もともとの性格はあるのかもしれませんが、心が折れてしまいそうになった時、悲観するだけではなくて「ここから何が学べるのか」「どう次に活かすことができるのか」という思いで仕事に向き合うことを大切にしてきました。現在、国交省で働いていますが、民間企業でのさまざまな経験が積み重なり、財産となるものが増え、今に活かすことができているように思います。目の前の仕事を大切にしながら、少し長い目線も持ち「その先にあるもの」や「その先に得られるもの」を見据えつつ、これからも国交省での仕事を頑張っていければと思います。