国土交通省(以下、国交省)による「経験者採用」実施にあたり、同省にて働く山田 知佳さん(港湾局 海洋・環境課 港湾環境政策室 専門官 ※取材当時)を取材した。もともと商船会社の機関士としてキャリアをスタートし、船員教育(機関)・海洋研究(博士)、舶用エンジンメーカー勤務などを経験した山田さん。なぜ、次なるキャリアに国交省を選んだのか。そこには、一度は見失いかけた「船・港、そして海洋の課題を解決していきたい」という夢があった――。
船舶や海洋を軸に、多様な経験を積んできた山田さん。国交省入省に至った経緯、転職を考えたきっかけから聞くことができた。
仕事を通じ、「船」や「港」もっと言えば「海洋」や「地球環境」に良い影響を及ぼしていきたい。そういった思いから、転職を考えるようになりました。
前職は、舶用補機(発電機関用原動機)を主としたエンジンメーカーで勤務しており、素晴らしい技術、高い専門性を有する組織で働くことができました。一方で、エンジンはあくまでも船全体を構成する一つの製品。とても素晴らしい脱炭素化燃料を用いたエンジンが開発できたとしても、搭載する船、そして港側の課題が解決されない限り、なかなか市場に普及していかない現状も目の当たりにしました。働くなかで、そういった「船」や「港」全体の課題を解決していきたいという思いが大きくなっていきました。
また、現在、小学校3年生の娘がいますが、彼女の存在も後押しになりました。ある日、小学校から「将来の夢を書く」という作文の宿題を持ち帰ってきたのですが、娘は「夢なんてない」と言っていました。私は「夢を持つことは大切だよ」と伝えたところ「じゃあママの夢って何?」と聞かれ、困ってしまいました。20代の頃は「海洋や地球環境の課題解決に向き合いたい」という夢があり、貨物船の安全運行を支える機関士として働き、その後、船員教育や研究に明け暮れ、博士号も取得をしました。ただ、日々の生活に追われ、いつしかその目標を見失っていました。娘にとって一番身近な大人である私が、口で「夢を持とう」と言うだけではなく、夢に向かって努力する姿を見せるべきではないか。もし「母」としては完璧でなかったとしても、子育てを言い訳にせず、夢を持って働く大人としてのお手本の一つになろう。正直に生きる姿を見せていこう。そう思い、自分自身の次のステップを考えるようになりました。
山田 知佳|国交省 港湾局 海洋・環境課 港湾環境政策室 専門官
大学在籍時に三級海技士免状(機関)を取得。大学卒業後、商船会社に海上職として入社し、三等機関士として石炭や鉄鉱石、穀物など貨物を専門に運ぶ船舶「バルクキャリアー」に乗船。約2年間、外航商船のいわゆる「船乗り」として勤務。その後、船員教育を行う大学校へ転職し、舶用電気・電子工学、制御工学、船舶プラント実習や船舶事故におけるヒューマンエラー防止、エンジンリソースマネジメント実習等を担当。海技者志望者・現役の船員(外航船・内航船)資格習得のための講義や研修、外国人研修生向け講義等も担う。同時に、研究業務を通じ、大学院博士後期課程にて博士号(※)を取得し、さまざまな研究業績につなげる。その後、舶用補機(発電機関用原動機)を主としたエンジンメーカーに転職し、技術研修講師として国内外船舶オーナー、現役船員に対するエンジン整備実習に加え、Dual Fuel Engine(LNG+Fuel Oil)研修実施に向け、研修機の設計を実施。2024年11月、国交省に入省し、現職に至る。(※)研究テーマ「船舶による放射雑音の音源レベルの推定及び海洋での船舶雑音の伝搬シミュレーションによる海生哺乳動物に対する雑音影響調査」。研究業績としては海洋音響学会、マリンエンジニアリング学会、InterNoise、AROB等、国内外の学会で発表、海洋音響学会にて有査読論文の投稿、専門誌超音波テクノの特集号として執筆等。
こうして転職を心に決めた山田さん。さまざまな転職先の選択肢がある中、なぜ、国交省を次なるキャリアに選んだのか。その決め手について聞くことができた。
これまでの研究や技術を活かし、「船」と「港」をつなぐ、いわば架け橋のような存在になっていきたいと考えました。その上で最も適しているのが国交省だと思い、入省を志望しました。
特に前職時代に感じていたのが陸側、つまり「港」の課題です。船舶業界では、自動運航船やアンモニア、メタノール、水素など新エネルギーを活用したCO2、NOx、SOx等の削減型のエンジン開発が進んでおり、まさに過渡期を迎えています。ですが、それらを支えるために必要な「バンカリングシステム」と呼ばれる燃料供給システム等、周辺のインフラ整備が進んでいない部分も多いと感じました。つまり、新しいエンジンを搭載した船が国内の港に着岸することができません。各エネルギーによって供給方法や管理方法が異なるなど、港側におけるインフラ整備には多くの課題もあります。それらを解決していくためには「船」と「港」に関する両方の知見を融合することは欠かせません。さらに経済循環に結びつけ、俯瞰的な視点から「船」と「港」の架け橋となる部分が必要なのではないかと考えておりました。私自身がその架け橋になっていきたい、さまざまな局面を考慮し、全体最適のための制度や仕組みづくりに携わりたいと考えました。「国」という立場からであれば、そういったアプローチができると考え、国交省への入省を決めました。
そして、2024年11月に国交省に入省した山田さん。現在、港湾局 海洋・環境課 港湾環境政策室の専門官として働く。その業務概要とやりがいについて聞くことができた。
現在、主に担当しているのは「ブルーカーボン(※)」に関する業務です。例えば、国連に提出、報告していく「インベントリ(目録)」の作成等も担っています。これは水産庁、環境省とも連携して進めているのですが、さまざまな研究者のみなさまによるブルーカーボンにおけるCO2吸収量の算定、研究データを取りまとめ、最終的には環境省が国連に提出していくものです。その中でも、私は海の生態系維持において重要な役割を果たす海藻、海草が繁茂する「藻場」に関する報告書作成等を担当しています。予算確保も重要な業務の一つとなるため、例えば、新たな藻場の「面積算定システム」を作るとなった場合等の予算要求、説明資料の作成、国会対応も行っています。
(※)ブルーカーボン
沿岸・海洋生態系が光合成によりCO₂を取り込み、その後海底や深海に蓄積される炭素のことを、ブルーカーボンと呼ぶ。2009年に公表された国連環境計画(UNEP)の報告書「Blue Carbon」において紹介され、吸収源対策の新しい選択肢として世界的に注目が集まるようになった。ブルーカーボンの主要な吸収源としては、藻場(海草・海藻)や塩性湿地・干潟、マングローブ林が挙げられ、これらは「ブルーカーボン生態系」と呼ばれている。日本周囲には海が多いことから、この仕組みを活用することで日本としてCO2吸収の推進に大きく貢献していけるのではないかと期待を集めている。また、ブルーカーボンに関する取り組みでは水質改善、水質浄化、水産振興、海洋教育、CO2吸収源対策等の多面的な効果を生み出すものとして、その活用推進が期待されている。(参照)https://www.env.go.jp/earth/ondanka/blue-carbon-jp/about.html
国連に報告するインベントリの作成は、日本としても重要な取組ですし、やりがいも大きく、誇りを持って携わることができています。また、世界的に活躍されている研究者のみなさまと仕事ができるのも醍醐味です。スケールの大きな取り組みになればなるほど、「横のつながり」も大切になりますし、私自身のこれまでの関わり、海運や船舶業界での経験も活かすことができていると思います。また、一見すると異なる分野のようにも見えますが、博士としての研究経験も活かせていると感じます。例えば、論点整理、具体例を用いた上での課題の明確化、解決策を導き出す、そういった筋道の立て方や考え方、アプローチは共通点が多いです。また、研究結果をはじめ、なかなか国会などでは伝わりづらい言葉やデータ等、どうすれば正しく且つ伝わりやすいものになるのか、自分なりの知識・視点を反映し伝えるように心がけています。そうすることで、研究者のみなさまと関係する職員の方々をはじめ、様々なステークホルダーとの橋渡し役となっていける。そういった部分でも過去の経験が活きているように思います。
やりがいの一方、ミスマッチしないためにも知っておいた方がいい「厳しさ」について、「国会対応など急を要する業務が発生することもあり、知っておいたほうがいいところかもしれません。」と話す山田さん。「私自身、入省まもなく国会対応を経験し、子育てをしながらでもあったため、非常に大変でしたね。また、前職と比較するとやはり業務量は多いです。その他、報告書や書類作成など正確性が求められるものなので、非常に多くのフィルターがかかり、決裁や確認プロセスが重視されます。細部にわたり確認作業が求められるのも特徴です。」
そして取材後半に聞けたのは、今後の目標について。山田さんが仕事で実現していきたいこととは――。
入省理由でもありますが、改めて「船」と「港」にとって良い仕組みづくりに携わっていきたいという思いがあります。エンジンメーカーが一生懸命、新しいエンジンを開発しても、港の設備が整っていなければ国内で使用されず、輸出も進みません。そういった課題を解決し、船舶業界全体の成長、日本の技術や産業の活性化につなげていければと考えています。ただ、私がそうであるように、必ずしも希望するテーマや分野を、入省後すぐに担当できるわけではありません。そういった中、さまざまな業務を通じ、経験を積み、勉強をしていけるため、希望以外のテーマに関わることに関して、とてもポジティブに捉えています。どのような分野であっても人脈、ご縁、そこで得た経験、知見は必ず役立つと思いますので、まずは目の前の仕事に真摯に向き合っていければと思います。何より、人生は寄り道が多く、真っ直ぐに進むだけではおもしろくない。自分なりの目標は持ちつつ、いろいろな経験を通じて知見を広げ、むしろ寄り道を楽しみながら前へと進んでいければと思います。
その先の目標について、あまり具体的なものはありませんが、時代がどんどん変わっていくなかでも、さまざまなことを柔軟な姿勢で吸収し続けられる人間でありたいなと思っています。また、それまで先人たちが蓄積してきた知恵や知識を含め、次世代に伝え、役に立ててもらえるようなアドバイスができる、そういった存在になっていければと思います。
最後に、山田さんにとっての「仕事」とは――。
研究の世界でもそうであるように、先人たちが築き上げてきた成果を受け継ぎつつ、自分自身も吸収し、次の世代に繋げていく。それが私にとっての「仕事」だと思っています。一人では成し得ないことをみんなで補完し合い、協力しながら成し遂げていく。自分が持つノウハウ、得意領域だけで完結する仕事は、スケールが大きな仕事にはつながりません。だからこそ、大きな流れの中で「通りすがりの一部」でも関わり、貢献をしていければと思います。
もう一つ、これはさまざまな職場を経験したからこそ強く思うのですが、「好きでなければできないもの」が「仕事」だと思っています。娘から「ママは仕事が好きで残業しているから、私も放課後に好きに遊んでくる」と言われ、確かに「好きなことに時間を費やす」という点では同じですよね(笑)。娘にそう思われるくらい、私は仕事が好き。人生の大半は仕事をして過ごすからこそ「好き」は大切だと思っています。ただ、私は不器用な人間でもあるので、子育ても、仕事も、全てを「一番」には考えられません。人生において、それぞれの局面で優先順位は明確にしており、今の生活で言えば、一番大切なのは「子ども」です。そして「家族」「仕事」と続きます。そういった優先順位も、子どもの年齢、関係性の変化と共に変わっていくもの。少しずつ「親」としてではなく、自立した一人の「人間」として娘と対等に向き合う日が来ると思っています。その時に、子育てを言い訳にし、夢から逃げた自分ではいたくない。夢や好きなことのための苦労は「楽しむための努力」だと思っていますし、娘にもその大切さを伝えたい。夢に向かって頑張ってほしい。だからこそ、そのお手本の一つになれるよう、夢に向かって「楽しむための努力」を怠らず、仕事と向き合っていければと思います。