経済産業省(以下、経産省)での社会人経験者採用にあたり、三菱電機を経て、2021年1月に経産省に入省した齋藤尚史さん(商務情報政策局 情報産業課 課長補佐/博士)を取材した。この数年、グローバル半導企業の工場誘致・建設が活発化しているが、その立役者の一人でもある齋藤さん。なぜ、彼は経済産業省でのキャリアを選んだのか。そこには「もう一度、技術の力で日本を元気にしたい」という志があった――。
まずは前職の仕事内容と、経産省への入省動機から伺ってもよろしいでしょうか。
前職は、三菱電機にて基地局・衛星通信・レーダーなどに使用される半導体の開発リーダーとして働いていました。幸いなことにさまざまプロジェクトに携わり、技術者として成長もでき、とても充実していました。一方でずっと抱いてきた「技術の力を通して世の中に貢献したい」という思いも、より強くなっていきました。
日本の半導体が世界のトップを走っていたのは、約30年前の話。どんどん下火になり、国内では「終わった産業」という見方さえありました。私自身「なぜ、時代遅れの半導体の道を進むのか」と言われたこともあり、非常に悔しい思いをしたことも。
そういったなか、海外に目を向ければ、多くの国で政府、民間企業、教育研究機関が連携し、次世代の半導体開発・研究に力を入れている。生成AIをはじめ、人々の生活を便利にする技術の根幹を半導体が担っていることは自明。日本はこのまま半導体を「終わった産業」にしていいのか。10年以上お世話になった半導体産業に対し、何か恩返しをすべきではないか。そう考え、半導体産業を再興していく道を模索するようになりました。
その志を実現する上で、なぜ、経産省だったのでしょうか。
半導体エンジニアとして培ってきた知識・経験を、どれだけ産業全体のプラスに活かせるか。そう考えた時、ベストな選択が経産省だと考えました。じつは経産省に応募する上で便宜的に転職サイトに登録したところ、コンサルティングファームや外資メーカーからはびっくりする年収提示額でのオファーもあったのですが(笑)心がなびくことはありませんでした。半導体産業を好転させ、日本を元気にしたい。子どもたち世代にとっても夢のある社会にしたい。そのためには、ある意味大きく出て「国」の立場で働く。この思い一つで、経産省への入省を決めました。
齋藤尚史/経済産業省 商務情報政策局 情報産業課 博士(工学)
半導体微細加工に関する博士課程修了後、総合電機メーカーにてパワー半導体の研究開発等に従事。2017年に三菱電機に転職後、半導体(IGBT、縦型GaNパワーデバイス)の開発に従事。2017年10月からは、5G基地局等向けのデバイス(GaN高周波デバイス)の実現に向け、チームリーダーとして性能や信頼性課題の改善に取り組む。その後、2021年1月 経済産業省に入省。グローバル半導体企業のプロジェクトなど、さまざまなプロジェクトを牽引している。
選考時、もし印象に残っていることがあれば伺ってもよろしいでしょうか。
面接官の方から「今、まさに経産省として半導体に力を入れていこうと考えている。あなたの意見が聞きたい。」といただき、ディスカッションに近い会話をしたことを覚えています。じつは課題の小論文でも半導体産業に対する「思いのたけ」を書いたんですよね。「今が半導体産業の再興に向けたラストチャンスである」と。というのも、あと10年もすれば、当時最前線で活躍していた優秀な技術者たちが定年を迎えてしまう。このまま何もしなければ、技術は継承されず、ただ衰退していくしかありません。今取り組まないと手遅れになってしまう。その危機感を小論文、そして面接でもお伝えしました。ちなみに「グローバル半導体企業の工場を日本に誘致し、協業していく」という戦略の方向性も小論文に記載したのですが、その直後に同じようなことについて経産省が検討中と記載された記事が掲載されていたのも、同じ方向性を向いていて、ご縁があったのかなと感じています。
同じ課題感、志を持つ方が経産省にもいたと。実際、現在はどのような仕事に携わっているのでしょうか。
籍を置いている情報産業課は、蓄電池、5G、AI、家電など幅広く所管しているのですが、そのなかの「半導体チーム」技術班長として技術政策、半導体戦略、予算策定などに携わっています。たとえば、北海道千歳市で次世代半導体の製造を目指して取り組むラピダスやグローバル半導体企業のプロジェクト、国内自動車メーカー等が中心となって将来の最先端車載半導体の開発に取り組むプロジェクトなど、様々なプロジェクトを主導しています。同じ技術者として、彼らがどういったことを実現したいか、イメージ共有がスムーズにできる部分などは培ってきた知見がダイレクトに活かせていると思います。
入省から約3年でそれらのプロジェクトを主導ができている理由とは?
「やった方がいい」と思ったことに躊躇をしない。どんどん自ら足を運び、相手に思いを伝える。真摯に相手の言葉にも耳を傾けていく。産業全体のことを考え、常に何ができるか考えて動く。シンプルではありますが、ここに尽きると思います。
たとえば、半導体業界で「伝説」と称されるジム・ケラーさんという天才エンジニアがいるのですが、偶然、同じ学会で講演することに。とにかく彼と直接話がしたいと頼み込んで対談をさせていただいたんですよね。そこで思いをぶつけたことがきっかけで、さまざまな会話へと発展していきました。
もちろん、国による共同研究や事業採択は公募なので、公正に判断されますが、外部の先生方・有識者のみなさんからも高く評価いただき、国内の研究機関とジム・ケラー氏率いるテンストレント社が協同で半導体設計の研究開発を実施するプロジェクトがNEDO事業に採択されました。また、彼が率いるAI用半導体スタートアップ「テンストレント」と、政府として次世代半導体の技術開発を支援している国内企業「ラピダス」の連携も実現しました。
(*)参考「ラピダス、テンストレント設計のAI半導体で製造受託へ」ロイター
https://jp.reuters.com/business/technology/PRTRPXWF7ZKN3CGEOJYQ2AWIA4-2024-02-27/
「何か課題があったとき、どうすればゴールに近づけるか、数年というスパンで筋道を懸命に考えていく。あらゆる方面から情報を収集し、無数の手段から、取るべき選択の最適解を絞り込んでいく。ここはエンジニア時代に鍛えられた部分かもしれません」と齋藤さん。こうして考案されたロードマップは経産省が発表している「半導体・デジタル産業戦略」へと落とし込まれているという。
仕事のなかで、特にやりがいに感じるのはどういった時ですか?
新たな取り組みやプロジェクトが報道され、ポジティブに受け止めてもらえるのはやはりうれしいですし、やりがいになりますね。また、国内企業のみなさんからも「あなたがいてくれて良かった」と声をいただくこともあり、お世辞かもしれませんが(笑)励みになります。少なくとも半導体エンジニアだった人間が、半導体戦略の立案に携わっていることはポジティブに受け止めてもらえていると思います。専門用語がストレートに伝わりますし、民間企業の立場を理解した上で会話もできる。もちろん、私の視点でしかありませんが、国と民間、双方を知る人間として一定の信頼はいただけている部分だと思っています。
もう一つ、私自身は「一つの技術」「一つの会社」にこだわらず、より多くの「技術」を国という立場からマネージできる部分も、経産省で働くおもしろさだと思っています。海外含めあらゆる技術を俯瞰して見た上で、どのような技術にフォーカスすべきか、どうすれば日本としてうまくいくのか。たとえば、埋もれてしまっている重要な技術を救い上げることも国としての重要な役目。また、若い技術者たちが日本で働き続けたいと思ってくれるような環境を整備なども重要な視点の一つです。こういった、技術者として現場で感じてきた「課題」の解決に携われることもやりがいだと言えます。
やりがいの一方でミスマッチしないために知っておくべき厳しさについて「どれだけ自分を疑えるか。こだわりに囚われず、客観視できるか。ここが重要だと思います。」と齋藤さん。「たとえば、自分が携わってきた技術も、産業全体に対するインパクトを考えた時に、ある意味で否定しないといけない場面も。日進月歩、進歩していく技術のなかで、自身がやってきたことはすぐに古くなってしまう。その前提で会話ができるかどうか。さまざまな意味での「客観性」が求められると思います。」
今後、仕事を通じて実現していきたいことがあれば教えてください。
そうですね。当然、全く同じというわけにはいかないですが、経産省内で「ああいった存在になりたい」と思ってもらえるように働いていけるといいのかなと思っています。民間企業に10年以上在籍し、生きた技術を扱ってきた技官はまだまだ多いとは言えません。躊躇なくガツガツと外に行けたり、客観的な視点が持てたり、どの部署でもそういった強みを発揮し、ある意味、ロールモデルのようになっていければいいですね。その先のことは抽象的なイメージしかありませんが、技術者が生き生きと働き、新たな技術が生み出され、希望を持つことができる社会にしていきたい。少しでも日本が元気になっていくことが理想です。
最後に、齋藤さんにとっての「仕事」とは何か、伺ってもよろしいでしょうか。
根底にあるのは、社会を豊かにしたい、世の中に貢献したいという思いです。より実感が伴うのは、身近にいる家族、特にこれからを生きる子どもたちが、生活しやすい社会にしていくことが大切だと思っています。そのために今、懸命に働いているのかもしれない。もちろん、仕事を通じて自分が成長できれば尚いいのですが、それを社会に還元していく。子どもたち世代にバトンを渡していく。それが私にとっての「仕事」なのかなと思います。