「地域の生産者さんのためにできることなら何でもやる。資金以外にもサポートは多岐にわたります」こう語ってくれたのが、農林中央金庫 名古屋支店で活躍する岩立洋祐さん(33)。メガバンク、そして大手証券会社への出向というキャリアを経て、2017年に「農林中央金庫」へ。そこには「金融業界での経験を活かし、生産者さんの伴走者として役に立ちたい」という熱い思いがあった――。
農林中央金庫について
「農林水産業と食と地域のくらしを支えるリーディングバンク」をビジョンとして掲げる農林中央金庫。農林水産業を取り巻く環境が時代に応じて目まぐるしく変化している昨今。金融業務を通じ、農林水産業の発展に貢献する唯一の民間金融機関としての役割を果たす。「食農ビジネス」「リテールビジネス」「投資ビジネス」の3つのビジネス領域を軸として、農林水産業の成長と発展に向けて、使命をもって取り組む。
2010年、新卒ではメガバンクに入行した岩立さん。3年間の法人営業を経て、大手証券会社へ出向。2017年11月まで勤務し、いわゆる金融業界の第一線でキャリアを歩んできた。
当時について、彼はこう振り返る。
「メガバンク、証券会社での仕事は本当に恵まれていたと思います。同期入行のメンバーは、みんな出会ったことがないくらい優秀で。まわりに負けないよう、私も証券会社への出向を経験するなど、より高いレベルの仕事に挑戦させてもらいました。たとえば、全国ニュースになるような商品の立ち上げなどにも携わり、市場に貢献する仕事もできたと思いますし、達成感がありましたね」
メガバンク、そして証券会社での仕事に対して、決して不満があったわけではないという。ただ、30歳を目前に控え、転職について考えるようになっていく。
「ちょうどお正月に実家に帰った時のこと。証券会社でハードワークをこなし、成果を出すことができ、自信もついてきたタイミング。父親ともそういう話をしたのですが、どこか寂しそうだったんですよね。「随分と遠いところにいるんだな」とか「変わったな」とか。決して私を否定しているわけではないのですが、心の距離が遠くになってしまった感覚がありました」
岩立さんの実家は農業を営んでおり、子どものころから休日は農作業を手伝うなどし、身近に「農業」を感じて育ってきた。その原風景を忘れたことはない。
「父親の寂しそうな反応をみたり、農作業の思い出があったり、心のどこかにはきっと“農家をやっていく将来もあるのかもしれない”という気持ちがあって。その思いに改めて向き合うようになったんですよね。ちょうど30歳を目前に、結婚もしていて。当時は「働き方改革」が始まる前ですので、証券会社もかなりの激務。もし、子どもができても、同じような働き方を将来もずっと続けているのか。そういった未来はあまり想像できず、転職を真剣に考えるようになりました」
さまざまな転職先の候補があったなか、岩立さんは「農林中央金庫」と出会う。決め手はどこにあったのか。
「銀行員として、農家さんたちの夢や生活を応援していくことができる、ここに尽きると思います。証券会社での仕事にもやりがいはありました。ただ、もともと出向前の銀行員としての仕事のほうが自分はやりたかった。銀行員は資金を通じて誰かの夢や生活を応援できる。小さな話かもしれませんが「岩立くんに出会えてよかった」と言ってもらえる、そういった“温度”が感じられる仕事がしたい。実家でも親身になってアドバイスをしてくれた銀行員の存在は知っていて、どこかに憧れもあったのかもしれません」
「アジアの食農リーディングバンク」を掲げる農林中央金庫。農林水産業を“成長産業化”していくために、新たな事業の柱として「食農ビジネス」が2016年度に立ち上がった。融資や出資といった資金提供はもちろん、域内消費拡大に向けたサポート、日本農業経営大学校の支援を通じた担い手の育成、農業法人等への経営コンサルティングやM&Aアドバイザリーにも取り組む。「ささえる」「つなぐ」「ひろげる」をキーワードに、地域の生産者をささえ、生産者・産業界・消費者をつなぐバリューチェーンの架け橋として役割を果たし、経営課題の解決に取り組む。日本の優れた農林水産物を世界へひろげ、アジアの食農リーディングバンクを目指して多様なソリューションを提供する。
とくに農林中央金庫では、長期的な視点も含めて、生産者を多角的に支援していくことができる。融資にしても「何のための資金か」「どういった将来を見据えた資金か」「有益な使い方か」といった部分にまで入り込んでいくことができる。岩立さんは、その仕事のおもしろさを、入庫後に肌で感じたという。
「すごくギャップを感じたことのひとつに、農業など1次産業は、レガシーなイメージがあったのですが、驚くくらい最先端のことをやっていて。よく“世界に通ずる”や“最先端テクノロジー”などのキャッチフレーズがありますが、メガバンクにいるよりも身近に感じられています」
業界のイノベーションに立ち会える、といっても過言ではないという。
「たとえば、ドローンによる農薬散布は既に当たり前ですし、アシストスーツを着て農作業する方も増えてきました。その他、大規模な太陽光利用の植物工場、葡萄の収穫をサポートするスマートグラス、いちご自動収穫マシン、牛の活動を測定する首輪、最先端の超巨大トラクターなど、挙げればキリがありません。農林水産業はとくに高齢化、人手不足が深刻な課題となっています。単に待っていても働き手が増えていくわけではありません。さらに温暖化も生産に大きな影響を与えている。だからこそ、技術革新のスピードが早い。そういったイノベーションに立ち会えるのは刺激的ですね。また、技術情報やネットワークを活用した連携も農林中央金庫だからこそできる重要な役割のひとつです」
さらに、どこまで、どのような支援をしていくのか。関わり方をしていくのか。個人の裁量に委ねられる部分も大きいと岩立さんは語る。
「あくまで私が働く組織の話ですが、目標数字などを細かく管理されるというよりも、“地域のためになるならば、どんどんやってください”という基本方針があり、そこに則っていれば、自ら考え、動くことができます。何よりも“目的”が重視される。逆に細かな指示はないので、指示待ちの方にとってはあまりおもしろみが感じられず、厳しい環境とも言えるかもしれません」
こうして「農林水産業のために働く」選択をした岩立さん。そして、2020年。コロナ禍の危機にも立ち向かっていく――。
「給食がとまったり、飲食店の営業時間に制限がかかったり、多くの生産者さんもコロナによって危機的な状況に陥りました。どうしても「生産」はすぐに止められない。たとえば、野菜や果物ですと「飲食店に卸せないなら、スーパーマーケットで売ればいいのではないか」と思われるかもしれませんが、与信管理だったり、品質管理だったり、クリアすべきハードルは多い。また、生産者さんたち自身は、卸先となるルートや、営業力を持っていません。そういったなかで、JA(農業協同組合)さんと連携し、さまざまなサポートしていく大きな動きをとることができました。当然、業界全体で見ればダメージは大きく、微力ではあったかもしれませんが、少なくとも関わらせていただいた生産者さんは多少かもしれませんが、貢献できたところはあったのではないかと思います」
もうひとつ、岩立さんには、決して忘れることができない、ある酪農家とのエピソードがある。
「とある酪農家さんと出会ったのですが、お父さんはもうすでに他界されていて。お母さんと息子さんでずっと乳牛を育ててきたと。ただ、経営がうまくいかず、負債が膨らみ、このままでは破産してしまう、という状況でした。お母さんとしては「息子にだけは迷惑かけたくない」と言うんですね。金融機関として回収はしないといけない。こういった状況のなかで打開策を探っていきました」
そこで岩立さんがとったのは、M&Aの提案だった。
「地域のなかで優れた技術を持つ若い酪農家さんがいました。その方に事情をお話したところ「その牧場、私が買いますよ」と言っていただけた。値段の交渉や債務整理などを私がサポートに入り、話が進んでいきました。その結果、お母さんと息子さんは破産せずに済み、さらに地域の牛の頭数も守ることができ、若手の酪農家さんは事業拡大ができました。後日談として、息子さんから「母から伝えられなかったのですが、ありがとうございました。僕もようやく酪農が好きになれました」と伝えてもらえて嬉しかったですね」
そして、その後も関係性は続いているという。
「今でもたまに息子さんから連絡がくるのですが、「どうすれば牛の乳がよく出るようになるか教えてほしいんですけど…」と相談をもらったこともありました(笑)さすがにそこまではわからないので、技術を持った別の酪農家さんを紹介していたりしますね」
そして最後に伺えたのが、岩立さんご自身が目指す先について。
「私はどんどん現場に出て、生産者さんのお話を聞くのが本当に好きなんですよね。新たな農法などの技術について、最先端の農業マシンについて、海外でのトレンドについて…そういった話を楽しそうにしてくれる若い生産者さんたちもたくさんいます。そういった方々のことを知ってほしいですし、役に立っていきたい。そこから世界にも通用する、地域発の新たなブランドなどが立ち上がっていったら嬉しいですね」
そして見据えるのは、さらなる未来――。
「当然、異動などもありますので、私自身がずっと同じ地域の生産者さんをご支援し続けられるわけではありません。そこで次世代にきちんとバトンをわたしていけるように、人を育てていきたい。もっといえば、ネットワークを活かしたり、広げたりしながら、新しい取り組みをどんどん仕掛けていく、社内外に“同志”を増やしていければと考えています。そのバトンが、日本の農林水産業の課題の解決につながったりしていくはず。ぜひ熱い思いを持って取り組んでいければと思っています」