掲載日:2025/05/30更新日:2025/05/30
日本貿易振興機構(ジェトロ)にて、2025年度の経験者採用・公募がスタートした。計20名の採用を予定する。同募集に伴い、課長代理として働く志鎌 大介さんを取材した。もともと大手金融機関で働き、国際部門・インドネシア現地法人で働くなどの経験を持つ志鎌さん。35歳のタイミングでジェトロ入構を決意。公的機関としての立場から、日本企業の海外展開を支援していく――30代でのキャリア選択に迫った。
新しい挑戦、そして成長の機会を求めて
前職、大手金融機関にて14年間勤務していたという志鎌さん。はじめに転職を考えるようになったきっかけから話を聞くことができた。
前職は大手金融機関で働いており、国内支店だけではなく、本部の国際部門やインドネシア現地法人での勤務機会があり、多くの刺激もあり、とても充実していました。ただ、インドネシアから帰国後、あらためて国内業務に携わることになったのですが、そこで「より多くの成長の機会が得られる環境で働いてみたい」という思いが芽生えてきました。
私の趣味は「山登り」なのですが、何度も同じ山に登っている感覚に近かったのかもしれません。もちろんルートを変えたり、季節が変わったりすれば、目に映る景色が変わり、同じ山であっても面白みはさまざま。ただ、35歳という年齢的(※転職当時)に、そのまま銀行に残れば、管理職など、いわゆる出世が視野に入るタイミング。より責任あるポジションで同じ山に登り続けるのか。一から違う山にチャレンジしていくか。せっかくならば、後者に挑戦していきたい。そういった気持ちが強くなり、転職を決めました。
こうして転職を決めたという志鎌さん。ジェトロへの入構理由についてこう語ってくれた。
転職の軸として考えたのが「国際関連の仕事をしていく」というもの。その時に真っ先に候補として浮かんだのが、ジェトロでした。前職時代から接点もあり、業務内容がイメージしやすかったですし、現地法人に駐在をし、日系企業の支援を担っていたため、経験が活かせるのではないか?と考えました。
何よりも公的な立場から日本企業を支援できる点に魅力を感じました。銀行であれば、本格的に海外展開を決めた企業の支援が中心となりますが、ジェトロであれば、計画・構想段階から支援ができます。いかに海外市場を開拓していけるか。一番はじめに「相談しよう」となるのがジェトロですし、そこに加わることで、これまでにない経験を積むことができると考えました。
実際の選考に進む、そこで感じたのは、さまざまなステークホルダーがいるなか、支援先となる企業と真摯に向き合う姿勢です。そして、特に最終選考、理事長面接でいただいた言葉に感銘を受けました。日々職員たちに伝えているメッセージとして「やんちゃであれ」と。それは決してチームワークを乱し、好き勝手にやることではなく、「まずは自ら考え、自ら行動するセルフスターターであれ」というもの。ここであれば自分の経験、そして考えを反映させつつ、新しい挑戦を具現化していけるのではないか。そして組織の役に立っていけるのではないか。そう考え、入構を決意しました。
海外展開支援部 中堅中小企業課 課長代理 志鎌大介
2010年、早稲田大学国際教養学部卒業後、株式会社埼玉りそな銀行に入社。個人富裕層・法人営業を経験し、本部国際事業部門へ異動し、全社の推進企画策定・研修・商品企画などを担当。その後、インドネシア現地法人に営業部長として駐在し日系及び非日系の顧客を担当するのと併せて、コロナ禍での人事マネジメントも経験。2024年4月より、現職。
海外展開を目指す企業からの感謝の言葉が、やりがいに
続いて、現在、ジェトロにて担当している業務とその「やりがい」について聞くことができた。
私は現在「中堅中小企業課 プラットフォーム班」に在籍しており、主にプラットフォームを活用した日本企業の海外展開支援を手掛けています。このプラットフォームの最大の特徴は、現地在住の専門家に相談ができる仕組みを無料で提供している点です。ただ、単に進出するだけではなく、その後が非常に重要になりますよね。そこで、2025年度は既進出企業同士の「エコシステム構築」をテーマに、進出と市場開拓をまさに両軸で取り組んでいるところです(※)。
(※)ジェトロ入構後における志鎌さんの担当事業について
▼中小企業海外展開現地支援プラットフォーム事業
国内中堅中小企業において海外展開ニーズが高い19か国・地域26か所(2025年4月時点)に「プラットフォームコーディネーター」という専門家を配置。現地在住のコーディネーターに無料相談できるサービス事業を展開しており、その運営・推進を担っている。(参照)中小企業海外展開現地支援プラットフォームhttps://www.jetro.go.jp/services/platform.html
▼海外現地エコシステム支援事業
2025年度より新たに開始予定となっている、既に海外展開している日本企業を対象とした支援事業。現地で抱える悩みごとの解決、ネットワークづくりなどを行う。2025年度はインド、メキシコ、ベトナムなどで支援を行う計画となっている。
その他、2024年度には海外最新トレンド情報などを調査し、日本の中堅・中小企業に提供し、新たな輸出増強につなげる情報発信事業を推進。2024年度は9本のウェビナー主催などを担当。
たとえば、前職で駐在していたジャカルタなども、メーカーをはじめ、多くの日本企業が進出している地域の一つ。そういった現地にて販路を開拓したいと考えた場合、そもそも商談機会をつくることさえ難しい。そこで商談会を企画、セッティングし、現地の企業同士のネットワークづくりを行うなどの支援をしていきます。どうしても中堅中小企業の場合、現地に駐在員が一人で住むケースも多くなります。そのため、できるだけ孤立しないよう、横のつながりを作るなども意識しているところです。
やりがいとしては、非常にシンプルですが、やはり海外展開を目指す企業のみなさまから直接的に喜んでいただけることです。中堅中小企業の場合、どうしても限られたリソースで勝負をしていくしかありません。そういった中で「こんなサービスまで無料でやってくれてありがたい」という言葉をいただけることもあります。
2024年度の事例でいえば、アメリカ進出を検討している医療部品・義足メーカーの企業があり、現地法人の設立をサポートしました。労務・法務分野をクリアにすることが喫緊の課題となっていたため、現地にも拠点がある会計事務所、法律事務所との面談を複数回セットし、疑問の解決を図り、無事にアメリカ進出へと動き出すことができました。
もう一つ、事例としてお伝えすると、着任まもなく「シンガポールにプラットフォームを新設する」というミッションを担当しました。出張などで現地進出企業の「生の声」をヒアリングし、海外事務所と協議しながら、現地相談ができる体制を構築しました。シンガポール大使公邸で立ち上げ式を行ったのですが、公的機関としての立ち位置が肌で感じられ、貴重な経験となりました。このように自ら思い描いた企業支援の仕組み、体制を構築していける。ここもジェトロで働く醍醐味だと思います。
「年齢、キャリアに関係なく、自ら考え、積極的に行動することで、案をカタチにしていける。それこそジェトロで働くおもしろみだと思います。日常的なところでいえば。得意分野をテーマに、自主的に勉強会を企画するメンバーも多いです。」と志鎌さん。一方で、ミスマッチをしないために事前に知っておくべき厳しさについては、「適応力が求められる点だと思います。」と語る。「まず異動やローテーションが非常に多いです。全都道府県、海外、あらゆる地域・事務所が勤務先の候補となります。配偶者の帯同休業制度などは充実していますが、家族の理解は必要です。また、独立行政法人であるジェトロは、活動のほとんどが公金を基にしており、公的機関としての責任が問われるため、非常に高い倫理観が必要です。実務上も複雑な規定、ルールが存在します。担当官庁とのやり取り、監査が定期的に行われます。それらをよく理解し、ルールを遵守しながら適応していくことも重要です。」
新たな「山」に挑戦し続けていきたい
そして取材後半、志鎌さんの「今後の目標」について聞くことができた。
まずは一社一社の企業と向き合い、支援を行い、実績につなげていければと思います。また、中長期的な視点、個人的な目標でいえば、ジェトロへの入構動機にもつながりますが、どんどん新たな「山」に登っていきたい。さまざまなチャンスに飛び込み、挑戦をし続けていきたいです。そう考える原点に、高校時代、ブラジルの田舎町で1年間、単身で暮らした経験があるように思います。当然日本人は一人もおらず、いわゆるマイノリティな存在でした。言葉も、文化も、なにも分からず、とても苦しい時期を過ごしました。ただ、一定期間を経て言語や文化面も含めて順応をした後には多くのブラジル人の友人に囲まれ、充実した日々を過ごすことができ、多様な価値観に触れる貴重な機会であったと感じています。新たな地域、環境に飛び込み、自分が知らないことを経験し、乗り越えていく。それは必ずや成長の機会になる。実体験から学べたからこそ、私にとって「挑戦」はとても大切なもの。ジェトロのグローバルな環境を活かし、存分にそういった挑戦をし続けていきたいです。
最後に聞けたのは、仕事に対する価値観について。志鎌さんにとっての「仕事」とはどのようなものなのだろう。
私にとって「仕事」は、社会と自分自身との「つながり」であり、知識、経験を最大限生かしながら「社会に貢献していくためのもの」だと思っています。こういった価値観を持つようになった背景として、父の存在が大きかったように思います。もともと父は、土木関連職として台湾での新幹線プロジェクトに携わっており、6年間、単身赴任で駐在していました。子どもの頃は父の仕事をあまりイメージできていなかったのですが、社会人1年目になり、長期休暇で台湾を訪れてその新幹線に乗ったのですが、とても誇らしく感じました。そこから、海外で活躍する日本人に憧れを抱くようになり、自分もその一員として働きたいと思うようになりました。結果的に、それが今の仕事にもつながっているのかもしれません。世界を舞台に働き、社会に貢献し、新しいチャレンジをし続けていく。そして「今までとは違う自分」に少しずつ近づいていければと思います。