2021年、農林水産省による民間勤務経験者を対象とした職員公募がスタートした。今回の公募にあたり、新聞社・出版社勤務を経て、同省に入省した佐藤一絵さん(農村振興局総務課長)にお話を伺った。民間でのキャリアを経て霞が関へ。そこには、常に生産者に寄り添う「現場主義」を貫く姿勢があったーー。
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【求める人物タイプ/志向性について】
● 農林水産業の未来のために情熱を傾け、粘り強く仕事ができる方
● 経験、スキルを活かしつつ、とらわれることなく貪欲に学び、取り組める方
● 生産者・消費者・流通事業者等の幅広い関係者に寄り添い、現場の声に耳を傾けられる方(傾聴力)
●「食べること」をはじめ食の領域に対する興味・関心がある方
農林水産省は2021年新春、民間企業等での勤務経験者を対象とした職員公募をスタートした。幅広いキャリア領域から「農林水産業」を未来へとつなぐ、次世代人材を募集する。
「食べることは生きる、ということに直結します。そういった意味でも、農林水産業、一次産業は社会にとって欠かせないエッセンシャルなもの。ここに携わるのは非常に大きなやり甲斐があります」
こう語ってくれたのが、農林水産省農村振興局総務課長の佐藤一絵さんだ。
新聞記者、出版社の編集者を経て、2008年に農林水産省に入省をした。
農林水産省で働く上で重要なこと、そして農林水産省だからこそ感じられる仕事の意義とは。彼女のキャリア・仕事観と共に伺った。
農林水産省 農村振興局 総務課 課長 佐藤一絵(さとうかずえ)
昭和44年生まれ。平成5年に北海道大学法学部を卒業後、北海道新聞記者として活躍。その後、出版社勤務を経て、平成20年農水省入省。休日はウォーキングを楽しむ。座右の銘は「意志あるところに道あり」。
「正直、もともと農業に対し、強く関心があったわけではありませんでした」
こう語ってくれた佐藤さん。ただ、新聞社、出版社、いずれの仕事でも、広く社会の役に立ちたい思いはあったという。
「過去のキャリアを振り返ってみると、お金を稼ぐだけでなく、自分の小さな力でも何らか社会に貢献できる実感を持ちながら仕事をしていきたいという思いはありました。これは学生時代から考えていたことかもしれません」
メディア業界で15年間働き、その後、農林水産省の門を叩くことに。
「記者も編集者もすごくやり甲斐のある仕事でしたね。自分が書いた記事、携わった書籍が、大なり小なり世の中に影響を与えるという重要な役割を担っている実感もあって。一方で、世の中がネット社会に転換し、旧来型のメディアのあり方も変わってきました。私自身も結婚し、ライフステージが変化する中で、次の世界に目を向けようと考えました」
農林水産省への入省は「タイミングと縁だった」と語る佐藤さんだが、後から振り返ってみると、新聞記者時代に行なった地元農家への取材が思い出されるという。
「新聞記者の新人時代、岩見沢という稲作地帯の支局に配属となりました。当時、農業に強い関心があったわけではないのですが、配属された1993年は、大冷害が社会問題となった年。全国的に気温が上がらず、国内のお米が足りなくなって、タイ米を輸入するなど緊急で対策が取られました。当時、夏あたりから農家さんたちが田んぼの前で呆然とし、苦労されている様子を取材させていただいた。ここが私と農業の出会いだったのかもしれません」
農業の厳しさ、人間の力ではどうしようもない現実。「食べもの」というエッセンシャルなものを育てる重みが、そこにはあった。
「私たちの世代は、食べるものに困らない時代を過ごしてきました。農業のありがたみを感じることもほとんどありません。でも、実際、お店からお米が消え、飲食店でも食べられなくなってしまった。あらためて「食」の大切さを痛感した体験でした」
「当時は農林水産省に入るとは夢にも思っていなかった」と語る佐藤さん。ただ、その時から既に農業との関わりは始まっていたのかもしれない。
「じつは当時、大変な状況のなかで取材に応じてくださった農家さんとは、その後もつながりがあって。今でも我が家では岩見沢のお米を食べています。後付になってしまうかもしれませんが、それ以来、どこか私の中に「一次」と言われるくらい重要な領域、産業に携わりたい想いはあったのかもしれませんね」
民間からの入省について「官民交流なども広く行われていることもあり、すぐに慣れることができた」と語る佐藤さん。2020年12月までは、政策統括官付農産企画課の課長として米政策を担当していた。お米の需要と供給、価格の安定のための環境整備に必要な政策立案、実行などが主な役割。直接、農家とコミュニケーションを図ることも多く「現場主義」を大切にする。
民間から霞ヶ関、農林水産省へ。
とくに入省後に「忘れられない仕事」があった。2011年3月11日、東日本大震災の被災地における水産加工業の復興支援だ。
「入省してから3年目の夏、水産庁に異動したのですが、その約8ヶ月後に発生したのが、東日本大震災でした。メディアでは被災地の漁業への深刻なダメージがよく報じられていましたが、沿岸に立地し同様に大きく被害を受けたのが、私が担当していた水産加工業界でした」
この時に「現場の声に耳を傾けることの大切さ」を痛いほど思い知ったという。
「発災後、まずは被災地への食料物資輸送、その後に復興対策作りなどに奔走しました。5月に最初の復興対策補正予算が成立し、岩手県の説明会に赴いた際、現場で大変な思いをされている生産者さんをはじめ、関係者の皆様から厳しく叱責されたのです。「漁業と水産加工業は両輪でこそ成り立つものなのに、なぜ水産加工業への支援がわずかなのか!」と。海産物は獲ってすぐ加工しなければ食卓には届かない。それなのに、漁獲する漁業への支援に重点を置き、水産加工支援は後回しにする対策内容としてしまっていたのです。自らの理解が浅かったことを深く反省しました」
そして、2011年6月以降も毎週のように被災地に通う日々。何度も関係者と直接対話し、県庁、市町村、他省庁とも連携。対策を整え、理解を得ながら、その後の追加的な復興支援の施策へとつなげていった。
「後に、生産者さんからいただけた、「本当にありがとう」という言葉は、今でも忘れられません。この仕事をしていて良かったと心から思いました」
2021年1月からは、農村振興全般が担当エリアとなった佐藤さん。今後も、農林水産省の様々な部署で、農業・農村の持続的発展と食料の安定供給の実現に取り組んでいくだろう。
食料自給率の目標はもとより、いかに農地を守り担い手を増やすか。どのような農村振興策、新技術導入を実行していくか。障壁も多く、到底解決が難しいと感じる課題に挑む場面もあるはずだ。
それでもなお、なぜ、仕事へと向き合い続けられるのか。佐藤さん自身が大切にしている考え方を伺えた。
「農林水産施策は、未来をつくる仕事だと思うのです。たとえば、ひとつの政策、予算案にしても、現場の生産者さんたちの生活に直接影響し、さらに広く「食」を通じて私たちの生活、日本の未来へとつながっていく。私たちの子ども、さらにその子どもたちの世代へと何を残すことができるのか。そういった意味でも、農林水産省の業務に携わっていけることは大きな喜びですし、意義を感じています」
そして仕事への原動力になるのも、やはり「食」だという。
「私自身も食べることが大好きですね(笑)。食事をしながら、お米や野菜を作ってくれている農家さんたちに思いを馳せることもあります。同時に、官での仕事は、東日本大震災の時も、今回の新型コロナウイルス感染症対策もそうですが、急な事態への対応など、体力勝負の公務もある。そういう意味でもたくさん食べることは大切ですね(笑)」
笑顔で締めくくってくれた佐藤さん。今日もまた全国どこかの農家さんたちと話をしながら、現場の声に耳を傾けているかもしれない。そして「食の未来」を思い、次なる政策へとつなげていることだろう。